ふしあわせの理由

 三回ほど前、ここに「怒って書いた文章はひどい」という意味のことを書いた。こういうのの一つに、ある「道の駅」でゴミ箱がなかったよ、というだけのことで書いている文章があり、今となっては、もう読み返してみると本当に、本当に申し訳ない気持ちで一杯なのだが、私はもう十分反省しているのでこれ以上古傷は、あ、ああああ、見る気でしょうあなた。いいやその気だ、私にはわかります。やめてください。本当にやめてっ。

 どうしてこのことを思い出したのかの話だったが、つまり、最近高速道路を使うと、途中のサービスエリアに、必ず「家庭用ゴミの持ち込み禁止」というポスターが貼ってあるからである。こういうのを見るにつけ、また例によって疑問を覚える。よせばいいのに考え込んでしまうのである。

 ポスターによれば、家で出た残菜などのゴミ(家庭ゴミ)を、車で高速道路に持ち込んで、サービスエリアに備え付けてあるゴミ箱に捨てる人が、ときどきいるらしい。サービスエリアのほうでこのゴミを処理するわけだが、公団では腑に落ちないものを感じている。ゴミ処理にもお金が必要なのであり、そのお金というのは要するに高速道路通行料で、本来は、新しい道路の建設や今までの道路の整備や道路公団の職員のお給料や利用者へのサービス向上に充てられるべきお金である。こんなことでいいのか。持ち込みはやめてもらいたい。

 しかしこれは、よく考えてみると、思ったよりは微妙な問題である。この最後の一項「利用者へのサービス」に関して、「乗用車で持ち込まれる程度の家庭ゴミの処分はサービスの範囲内」と考える人だって、結構いるのではないかと思うからだ。私は実際にはやったことはないのだが、家で出たゴミをこういうところに捨てたくなる気持ちはわかる。

 日常、暮らしていて出たゴミは、ふつう自治体の取り決めに従ってゴミの日に出される。しかし、その回収日は一週間につき二日ほどしかなく、帰省などで一週間ほど家を空ける場合、帰省直前までに出たゴミを全部、きれいにゴミの日に出し切って帰省、というふうにうまくゆくことは滅多にない。

 だから、たとえばこういう状況を想定されたい。自治体のゴミの日が火曜朝で帰省が水曜日の昼とする。火曜日の昼から水曜日の朝までにはどうしてもいくらか生ゴミが出るが、これは家に残してゆくことになる。帰省中、残した生ゴミがゴミ袋の中で着実に腐敗してゆくかと思うと、なにか落ち着かないものを感じる。返ってきたときに家が虫々大戦争になっていたら、いかんとしよう。

 そういう想像があるときに、この生ゴミをサービスエリアが回収してくれたらなあ、と思うのはもしかして自然なことではないか。なにタダで回収しろとは言わない。帰省で使う高速道路には、時に何万円という単位の通行料を支払うのであり、サービスエリアであれこれと買い物もする。その一方で、ゴミの回収は、有料制を採用している自治体でも、その料金は45リットルの大きなゴミ袋一つにつきたかだか数十円程度に過ぎない。数万円に対する数十円。なんだよゴミくらい回収してくれたらよいではないか。

 もちろん、自治体としても、住民がゴミ回収に払う一回数十円で丸々ゴミ処理コストをまかないきれているかというと、そんなことはないのだろう。大部分は税金でもって処理を行っていて、ゴミの減量を促すためにおしるし程度の料金を課している、というあたりが真相にも思える。とはいえ、利用者の気持ちとしては「ゴミの処理にかかるお金はどうせ数十円に違いない」というところである。けっこう大胆な通行料金割引を敢行しながら、同じ口でこのようなちっちゃいことを言う道路公団に、割り切れないものを感じるのである。

 いろいろと想像してみることはできる。たとえば、そもそもこれは年に数回程度、わずかな生ゴミをもののついでに捨ててゆく人ではなく、処理の難しいゴミや大量のゴミを日常的に持ち込む悪質な利用者を想定しているのかもしれない。また、分別の効率が悪いということもありそうだ。ただ、それなら分別の徹底を広報すればよいのであって、また、日常的に高速道路を使う人というのは要するに毎回何百円かを払ってくれる「お得意様」であり、そんなに目くじらを立てるほどのことかなとも思うのである(サービスエリア外から徒歩で捨てに来るような場合はともかく)。

 そういう意味で、道路公団は、本当のところユーザーに「家庭ゴミの処理はサービスの一環かどうか」という点について、広く意見を求めたほうがよいと思う。少なくとも「それくらいやってくれたらいいんじゃないの」と思われるような穴のある主張はやめたほうがよい。さらに言えば、ここは一つ、逆境をチャンスに変えて、ゴミ回収はサービスの一環として割り切り、一回数十円の有料で家庭ゴミを引き取るサービスを始めるというのはどうだろう。価格設定によっては、けっこう、儲かるのではなかろうか。

 現在の日本においては、理由が納得できないルールには従う必要はない、とだいたいにおいてみんな考えているように思える。「説明責任を果たしていない」「説明が十分ではない」という言葉を近頃よく聞くが、考えてみれば自分が根本から反対している、納得したくない物事に対しては、どんなに言葉を費やしても十分納得できる説明などはないのである。いわく、説明はされるものだが納得は自分でするものだ。あなたの頭の中をのぞきこんで「本当は納得してるじゃないですかひどいなあ」と指摘する人は(今のところ、幸いにして)いない。

 そう、「納得していない」という理由でもって人は交通ルールを破り、万博会場や野球場に弁当を持ち込み、受信料や高速道路通行料や年金保険料をごまかして、古いテレビや家庭ゴミを道端に捨てたりする。私が思うに「サービスエリアに家庭ゴミを持ち込まないで」というお願いは、少し、納得度が足りないように思う。いったいぜんたいゴミ一袋につきいくら公団は支払っているのか、正直なところをひとつ明らかにして、協力をお願いするように行かないものだろうか。その際、総額ではなく、一袋あたりにするのが好ましい。その額によっては、納得して捨てるのを止める人もいるかもしれない。もちろん、絶対にサービスエリアにゴミを捨てると決心している人は、どんなに言葉を費やしても納得はしないのだろうけれども。


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