ラッキーは保存する

 ある友人が、テレビで阪神戦を見ていて「阪神ファンにはきれいな人が多いのではないだろうか」と言い出した。なるほど、中継を見ていると、イニングの合間などに映されるスタンドの様子には、「頼んだぞアニキ」のプラカード、着ぐるみのような目立つ応援のほか、きれいな女性がメガホンを振っているところが映されることが、やけに多い気がする。

 もちろん真相は、どこでもいいから応援席を映したらそこに美人がいたのではなく、わざわざ美人を見つけて映しているのだろう。そんな話をしてみんなで笑ったのだったが、ただ、美人かどうかは別にして「今年、球場に足を運んだ女性ファンの数」ということで言うと、やはり阪神ファンが最も多くなるのかもしれない。今年不振で不人気だった巨人を唯一の例外として、おそらくファンの絶対数が最も多い球団だからである。

 さて、シーズンを通して野球中継を見ていると、もう一つ、よく映される気がするのが「幼児」だ。ちっちゃい子がユニホームを着て応援している光景は、確かによく見かける。そういうのをテレビで見て、私はどう思っているか。こう考えているのである。ああ、私も自分の子供を連れて応援に行きたいなと。今は水戸たらいう地の果て(関西から見て)にいるから行けないけど、もし行ったら、きっとこうしてテレビに映ってしまうなと。なぜなら、ウチの子は可愛いからである。バカがつく親である。どちらかというと、親がつくバカである。

 果たしてそれと同根なのか、商店街の福引のようなクジを引くときに、どうも、自分が引くより子供に引かせたほうが当たりやすい気がして、機会があると、子供に抽選器のガラガラを回してもらったりしている。妊婦はくじに当たりやすいというジンクスも聞いたことがあるが、どちらも「三十代既婚男性はくじに当たりやすい」というよりは、はるかにありそうな話に思えるのは確かだ。神様のような存在がどこかにいて、下界にいる人間たちの誰にくじを当てるか、望遠レンズで探している、というような想像があるのかもしれない。あるいは、人は幸運という資源を各自持っていて、それが胎児や幼児にはまだふんだんにあると思っているのかも。

 そういえば「ラッキー保存則」というものがあった。これを掲げたのは、大学生のときの私の担当教官だが、いくつかの形がある。試みに定式化すると、こんな感じだ。

○ラッキー保存の第一法則(日常における保存則):
 幸運は保存する。良いことがあると悪いことがある。
○ラッキー保存の第二法則(人生における保存則):
 第一法則が成り立っていないように見える場合、長期にわたって観察すると成り立っていることがわかる。
○ラッキー保存の第三法則(社会における保存則):
 第一法則と第二法則が成り立っていないように見える場合、その人の周囲の人まで含めて観察すると、成り立っていることがわかる。

「ストロングフォーム」と「セミストロングフォーム」「ウィークフォーム」と言ってもよい。私たちの独創ではないかもしれない。誰でも思いつきそうな気もするが、まあ、こういうことを放言して機嫌よう遊んでいたのである。お遊びといえばそれまでだが、こういうことを大まじめで主張することには、どこか否定しがたい楽しみがある。実際に幸運のあとに不運に見舞われたひとに向けてラッキー保存の法則を説いては、殴られそうになっていた我々だった。

 いちおう、これにはちょっとした数学的な根拠がある。「大数の法則」というのがそれで、サイコロを何度も振って数を記録していると、最初は出やすい目、出にくい目があるように見えるが、くじけずずっと何度も振っていると、出た目の数は六分の一ずつに近づいてゆく、というものである。幸運の後に、それを打ち消す不幸があるとまでは言っていないが、何度も幸運が続くことはない(そんなことは滅多に起こらない)とは言っている。時間的空間的に、より広く探索すれば、必ずや幸運は不運の中に埋もれてしまうだろう。この意味においては、おかしな話だが、ラッキー保存則は確かに正しい。

 昨日、阪神タイガースが二年ぶりにリーグ優勝した。ラッキー保存の法則が頭にあると、どうしても「この試合が終わった瞬間に○○さん(監督など)は死ぬるのではないか」という恐ろしい想像をしてしまうような、それくらい、最後まで、すべて思い通りに進んだ気がするペナントレースだった。対巨人最終戦、ホームのゲームで連勝して優勝決定というのも、ありえないような偶然だった。実力もあるに決まっているが、なにか、それに加えての幸運に恵まれたとしかいいようがないシーズンである。

 そんな中で、気になるのは井川である。阪神のエースと呼ばれる投手、井川。茨城出身の、井川。なぜか茨城には井川に顔が似た若者が多い気がする、そんな井川。今シーズン、他の球団のエース(中日の川上や巨人の上原あたり)と比較するとけっこう頑張っている気もしたのだが、比べる相手が下柳とか後半戦の安藤とか「去年までの井川」なので、どうしても辛口批評が目立つシーズンだった。二軍落ちまで経験した。せっかく勝っても「ピリッとしない」とか「エースとしては物足りない」とか「髪の毛がうっとうしい」とか「とりあえず髪の毛切れ」などと言われていたシーズンであった。特に、ここぞという対中日戦に限ってメタメタだった。中継を見て怒った私の母から「井川は茨城に帰れ」というメールが届いたのも一度や二度ではない。その上、昨日は胴上げに間に合わないという不運があったりもした(故意ではないとのことで、だったら不運だろう)。なにか、一人で阪神というチームの不幸を背負っているような感じもする。

 そこでだ。ラッキー保存の観点からは次を主張したい。日本シリーズこそヤツはやると。そうでなかったら来シーズンやってくれると。もしかして、来シーズンは大リーグに行って本人にとってのみラッキーなシーズンになるかもしれないが、本当にそう思いたい。なんて言っていると、消化試合でノーヒットノーランを成し遂げたりして、貯めた運を全部使い切っちゃうんだよなあ。そういう選手なんだよなあ。


※10月27日(日本シリーズ後)追記。井川選手には特になにも起こりませんでしたが、阪神タイガース自体について言えば……保存しましたね。こんな形で、嫌だけど。でも、だからこそきっと、来年はまたいいシーズンになりますよ、きっと。
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