一昨年は別の顔

「豊かな自然」というのは、生野菜サラダのようなものである。ないと寂しいけど、それだけではごはんは食べられない。

 などというのは、実はどうでもよいのだ。特定のプロ野球の球団の話が続いてしまい、興味のない方他チームのファンの方々にはたいへんお見苦しいことながら、だいじょうぶ今回は残る阪神ファンにも共感を得られなさそうな話題である。ある夜、寝床に入ってうつらうつらしながら、私は前回の優勝のことを思い出していた。今年ではなくて、18年ぶりのリーグ優勝を勝ち取った一昨年、2003年のシーズンである。

 おととしのシーズン。これは、言うなれば「一昨日の晩ご飯」みたいなもので、ほどよく昔の出来事だという気がする。寝る前のひととき、記憶のすす払いにちょうどいいのではないだろうか。なにより、2004年や2002年以前と異なり、星野監督に率いられシーズンを戦い勝ち抜いたあの年は、私にはたいへん楽しい記憶になっているので、なおさらよろしい。羊を数えるように、選手を数えて寝よう。

 当時を今年と比べると、打順や守備位置は大幅に組み替えられているが、助っ人外国人を除き、野手の顔ぶれ自体はそれほど変化していない。アリアスがシーツになった以外は、ほとんど鳥谷がいるかいないかくらいの差だと言っていい。今岡、赤星、金本という1〜3番は今思うと変な打順だったな、まだ八木や広澤がいたな、というようなことをつらつら考えて、次に先発投手のことを考えた。そうそう、野手と違い、投手陣こそはがらっと変わったのだった。久保田が先発したり安藤が中継ぎだったりはともかく、藪が大リーグに行き、伊良部が引退した。たいへんに変わった。と、そこで気が付いた。2003年には一人、外国人の先発ピッチャーがいたはずだ。

 顔はよく覚えている。左投手で、ピッチャーなのにバッティングがうまいという、面白い選手だった。人気もあったし、いちファンの目から見るとなかなかの結果も残していたのに、優勝の年限りで解雇されてしまった。名前は、ええと、名前は、なんだっけ。出てこない。

 私は横になったまま、頭の中をひっかきまわしてみた。出てこない。待てよ、落ち着け、井川に、藪に、伊良部だ。下柳も、もういた。あと、移籍した、ええと、ほら、ああそう、谷中だ。それで五人だ。福原や久保田、藤田太陽、藤川球児あたりも先発したし、川尻だってまだいたはずだが、主にはこの五人で、これだけだと五人で、あと一人、それがあの外国人投手だ。あああ、思い出せない。いや、思い出したらどんないいことがあるかといわれると、何もないのだが、思い出せないと、困る。なんちゅうか困る。人生というのはそういうもので、それを言うならパンツをはき忘れるとどんな悪いことがあるのか。はいてないと困るのである。

 思い余って、横にいる、寝床で本を読んでいた妻に聞いてみた。妻は、しばらく考えて、こう言った。「シーツみたいな名前じゃなかった?」。何を言っているのか。シーツは今季三番にずっといた元広島の野手ではないか。「だから、シーツみたいな名前だって」。まだ言っている。しかし、責めるのはかわいそうである。私は阪神ファンかもしれないが、妻は違うからだ。ファンでもなんでもない。私が見ているので、かわいそうにしかたなく見ているだけである。

 確かに。問題なのは私だ、阪神ファンなのに、野球中継のためにスカパーと契約して有料で見ているくらいなのに、手帳に先発投手を記録していたくらいなのに、どうしてこんな名前が、決して影が薄いわけではなかった選手一人の名前が出てこないのか。それも優勝した年に、一年通してローテーション投手だった外国人が思い出せないというのは、いったいどうしたことか。第一、長く記憶すべきあの日本シリーズの、最終戦とかに投げてなかったろうか、カレ。つまりカレで負けて日本シリーズを制することができなかったわけだが、そう思えば、良かれ悪しかれずいぶん世話になったのではあるまいか。なんだこの薄情なやつめ。よくそれで大きな顔してファンでございと。もう阪神のこと書くな。恥を知れ恥を。

 いてもたってもいられず、パソコンを立ち上げて検索をかけてみると、いや、これが調べにくい事柄なのだった。阪神タイガースの公式ホームページには、今年より前の選手のリストはないらしい。阪神が優勝したのが今世紀では2003年だけだったらまだ検索のかけようもあるが、運悪く、今年、ほんの数日前にリーグ優勝したばかりで、スポーツ新聞のページなどもそんな昔のことは忘れたような感じである。だいたい「名前がわからない」という問題に対して、ウェブ検索は非常に親和性が低い。キー。

 思い余った私は自分の手帳を探すことにした。どこに行ったか2003年の手帳。私が毎日まいにち先発投手と勝敗を書き留めていたあの手帳。引出しを探し、戸棚を探して、とりあえず2004年のを見つけた。えーと、井川、福原、下柳、伊良部、前川、ああ、いたなあ前川。藪、井川、福原、下柳、伊良部、前川、藪…って、だから2004年にはもういないんだってカレは。2004年は途中でシーズンに絶望したので夏ごろで投手メモがぱたりと止まっているのだが、当然ながら、最後まで読んでもカレはいない。ホッジスとかモレルのような懐かしい名前を見つけただけだった。マイヤースとか。違う違う。ちわうちわう。そんなことはどうでもよいのだ。2003年を探さないと。もしくは2002年を。どこにしまったっけ。

「思い出した」
 私は、振り返ってそっちを見た。布団から起き上がった妻が、戸棚を覗き込んでいる私のほうを見ていた。え、2003年の手帳、どこだっけ。知ってるの。
「ムーアでしょ」

 ムーアだった。シーツみたいな名前ではないか。


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