天国の門

 神社の入り口には必ず鳥居があって、通常、参拝者は参道の途中で鳥居をくぐってゆくようにできている。神社の場所やつくりによって、鳥居はその色も大きさも、材質や細かなデザインもさまざまである。鳥居の配置も、海の上にあったり、いくつも並んでトンネルのようになっている場合があったりして、いろいろだ。こういうのには、なにか、ばらばらのように見えて、その実納得できるいわれやルールがあるのだろうなと思いながら、まだちゃんと調べてみたことがない。長い時間をかけて虚心にいろんな神社のいろんな鳥居を見ていって、こういうのもあった、こういうのも見たと蓄積されていった経験や疑問が、あるときそのルールを知ることでいっぺんに合点がいくような、そんな瞬間が来るのではないかと思って、私は今から期待しつつ、先送りにしている。

 私がまだ幼い少年だった頃。たぶん、小学生の低学年くらいだったと思うが、あるとき、家族でドライブして、訪れた神社には、巨大な鳥居があった。どこのなんという神社だかはまったく覚えていないが、備える鳥居は大きなもので、それはもう、二本の足をそれぞれ大人が二人がかりでも抱え込めないような、見上げるような大きさだった。材質はコンクリートか石か、それが立派な基礎工事の上に立てられている。私は母と一緒にその鳥居を見あげつつ下をくぐったのだが、ふと父の姿を探すと、かれは私たちとは離れて、一人歩いているのだった。見ていると、父は、私と同じようには鳥居の下をくぐらず、鳥居の外側を回りこむようにして、避けて通っている。

 どうしてああするのか、どういう理由があるのか、と私は母に聞いた。母は困ったように首を振って、あのようにするのは、なにか罪を犯して、後ろ暗いところのある人なのだ、という意味のことを言った。これが普遍的にそう考えられているのかどうかは私にはわからない。少なくとも私は母以外からそのように聞いたことはないのだが、とにかく、そのように話す私のことを、鳥居の向こうで、外側を通った父が、ただ待っていた。そして、待っている父を見るうち、ふと私は悟ったのである。

 私の父親がどういう人なのか、私は実は知らないのだ、ということをだ。

 それは私にとって生まれてはじめて訪れた、電撃に打たれるような、衝撃的な認識だった。私は、父が本当のところどういうひとなのか、知らないのだ。いや、私の知る限り、父は正業に就いている、普通の人だった。会社づとめではなく、家で祖父と一緒に商売をする家だったから、そのあたりに疑いはない。自分が食べるご飯──は、家に少しあった田畑から取れたものがかなりの割合で含まれていたと思うが、肉や魚、それからもちろん着る服やテレビや自家用車の対価には、父と祖父が店で働いて、そのかわりとして客からいただいている売上げ、それが当てられていることに、何の疑いも持ってはいなかったと思う。

 しかし、たとえば父が若い頃、母と結婚する前に、どのような人だったのかについては、私は、考えてみると誰からもきちんとは聞いたことがなかったのである。父はその頃三十代の半ばから終わりごろを迎えようとしていたはずで、それはたまたまこれを書いている今の私の年代にかなり近いのだが、その父にも血気盛んな(当時よりももっと盛んな)若い頃があったはずだということを、私はそれまで聞いたこともなければ、想像すらしたことがなかったのである。

 神社の境内を先に立って歩いてゆく父を追いかけながら、私はそっと母に尋ねてみた。鳥居をくぐらない人は、悪いことをした人なんでしょう。ぼくのお父さんは、悪い人なの。そしてそのとき、母はしかめっ面を作って見せて、私に言ったのだった。こういう人なのよ、と。

 それを聞いて私は震え上がった。こういう人というのは、どういう人なのか。私の父はいったいなにをしたのか、それは、なんであれ、簡単に取り返しのつくような罪ではあるまい。なにかを燃やしたり破壊したり、もしかして傷つけたり殺したりしていて、しかも、そしてそれをひた隠しにしているのではないか。隠しつつ、一見普通の生活を送りつつも、いざこのような大きな神社にやってくると、良心の呵責が頭をもたげ、あのように鳥居の外側を通るのではないか。そうだ、そうに決まっている。そのとき私はほとんど確信したのである。そして、そのように確信してしまうと、もはや、本当はなにがあったのかなどと、聞けるものではない。

 そして天地はめぐり、この神社にまつわる細かな思い出とともにいくつもの夏と冬が過ぎ去って、私もまた父親になった。当時の父と同じように三人の子供をもうけて、一応なんとか妻子を養える仕事についている。「若くて血気盛んな頃」というのを、既に済ませてしまった年代に、なりおおせてしまった。

 そして悟った。悟って、ふたたび恐怖したのである。私も、やはり、父親と同じように「こういう人」だった。その血は流れていたのだった。このことを、私は実に、こうして自分も父親の歳になって、はじめて理解できた気がする。

──つまり。特に何の理由もなく、ちょっと人と違う、変な行動に走って、周囲をはらはらさせる、調子がよくて、おっちょこちょいな血である。そう、これはたいへん、恐ろしいことなのである。


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