キッチンで父は

 仕事一筋だった会社人としての生活も終わり、さあ第二の人生、これからは趣味も家事もがんばるぞ、とキッチンに立つ、定年退職したお父さんの悩みは、よく見ると二種類ある。ひとつは「料理の仕方がわからないこと」。そしてもうひとつは「どこに何がしまってあるのかわからないこと」である。

 これは、似ているようだが厳として別の問題だ。前者はやや普遍的な、一度覚えればどこであろうと役に立つ知識であるのに比べ、後者はこのキッチンのローカルルール、ある人(たぶんお母さん)が自分が使いやすいようにたまたま選んだ状態に過ぎない。棚に見つけた青いボトルの中身が醤油なのかウスターソースなのか。これはお父さんはおろかどんな料理の達人をもってしても、匂いをかいでみるまでわからない類の問題である。これまで家事に冷淡だった父親を責めるのはよいとして、紅茶のありかが分からない類の悩みについては、少し寛大な目で見てやってほしい気がする。

 世の中にある多くのルールは、時に境界があいまいになるとはいえ、だいたい、このどちらかに分類できると言える。何かもっともな理由があってそうでなければならないルールと、本質的にどちらでもいいのだが便利のためにどちらかに決まっているルールだ。この文章の中では、仮に前者をAルール、後者をBルールと呼ぼう(※1)。「ぶりの照り焼きの作り方」はAルール、「使いかけの醤油の瓶はこの戸棚の中」はBルールということになる。

 例を見てみよう。電車の駅において、ホームの端は歩かないほうがよい。これは世界中どこでも普遍的に通用するルールというか、常識だと思われるから、Aルールに分類されるだろう。一方、急いでいる人のためにエスカレーターの右側をあけて立つというのは、よく知られている通りBルールだ。たまたま東京と大阪で異なるルールが採用されていることで有名だが、交通のスムーズさということではどちらを採用してもほぼ同じだと思われる。電車のドアが開いたときに、降りる人と乗る人のどちらが先に扉を抜けるべきかは、私はAルールだと思うが、Bルールだと考える人もいるかもしれない(電車が混雑してくると「降りる人が先」でないとどうにもならない気がするが、そうでない限りはどちらでもよいと言われればそうかもしれない)。

 ここで注意したいのは、歴史が異なっていれば他のやりかたがあるからといって、Bルールが重要でないとか、どうでもよいとか、そんなことにはならない、ということである。左側通行右側通行などが最たるもので、アメリカと日本を比較すればわかるように、いったんどちらかに決まれば、どちらであろうと同じようにうまく機能するルールである。同様に「赤信号は止まれ」のかわりに「青信号が止まれ」であっても、もしも最初からそう決まっていたのなら、それはそれで特に問題はないと思われる(※2)。しかし、だからといって通行レーンや信号のルールは重要度が低いということにはならない。一度決まったら(そして日本においてはどちらもとっくに決まっているわけだが)それを墨守しないと、危なくってしかたがないのである。つまり、ルールの分類とルールの重要性は無関係だ。醤油のありかが最後までわからない場合、出来上がった照り焼きの味が大変なことになるのと同じである。

 さて、私は茨城に引っ越してきて六年目がほぼ終わろうとしているところだが、いまだにこの地のドライバーのしつけに関して、疑問に思うことが多い。こういうことを書き始めると、どうも高所から見下ろすような発言になってしまっていやらしいのだが、全体的に速度を出しすぎる、自転車や歩行者を無視する運転をするなどというのはまさにそうである。こういうのは、要するにAルールなので、どこであろうと守らなければならないのだが、だからわざわざ指摘するとちょっといやらしいのかもしれない。

 ところがここで、どうにも気になることがある。ここ茨城でよく見かける「右折車優先」と呼ぶべきか、交差点などにおいて、右折車が直進車よりも先に出るという、そういう現象である。

 つまりこういうことだ。自分は自動車を運転しているとする。少し大き目の交差点で、信号が青になるのを待っている。自分は直進する車で、前方、向かい側に、右折に備えてウィンカーを出して一台の車が止まっている。青になった瞬間、両方の車がスタートするのだが、通常、私が教習所で習ったところの交通ルールによれば、こういうときは「直進車優先」。すなわち、自分の車が交差点を通過したのちに、向かい側の車が(安全確認をして)交差点を右折するということになる。

 ところがそうはならない。絶対ではないが、自分が交差点に進入するより早く、右折車が自分の前を横切って、去ってゆくことがあるのだ。イメージできただろうか。これは心臓に悪い。頭がかっと熱くなって、危ない、と思ってしまう。

 実は私は、人生において「ここの運転マナーは」と言えるくらい運転した場所は茨城が最初である。これまで住んでいた他の場所では、日常的に運転している時期が一度もなかったからだ。だから上のようなことが茨城だけで起きているのか、それとも日本全国でこうなのかはわからないのだが、しかし、はじめて見たときはなんと危険なことをするものかと驚いたし、今でも見かけるたびになんともいえない不快な印象が残る。特に、運転がいかにも荒そうなスポーツカーに乗った若い衆ではなく、ファミリーカーに乗ったおじさんおばさんにこれをやられたりすると、ショックである。

 しかし、と思ったのだ。これはもしかして、私がAルールだと思っていたものが、実はBルールに過ぎなかったという事例なのではないだろうか。上の「右折車優先」を見ると驚愕するが、実際に事故になっているところは、どうやらまだ見たことがない。実のところ、大きな交差点では直進車よりも右折車のほうが素早く交差点を通過できる場合が多く、直進側の交通の妨げにも、あまりなっていないようなのだ。仮になったとしても、直進車がスピードが出ているわけではないので(青信号になった直後だから)、すぐ止まることができるので、まず危険はない。
 むしろ、普通に右折を待っている車のせいで後ろの車が進めなくなって、青信号なのにちっとも信号待ちの車がはけない、という場面はよく見るので、交通全体のスムーズさということでいうと、一台だけでも右折車が先に行って「青信号に変わる」から「直進車が交差点を通過する」までの間隙を有効に活用したほうがいいのかもしれない。

 などと弁護しながらも、本心ではあくまで直進車優先を守るべきだと思っているのだ。それはたとえば右折車が右折した先の横断歩道に歩行者ないし自転車がいた場合に危ないと思うが、これも、考えてみると、そこまで全部含んで「右折優先。たまたま右折先に歩行者がいた場合は直進車も待ってあげる」とかそういうルールだと思って、そこまで心構えをしてしまえば、茨城においては歩行者も自転車もたとえば東京などに比べてずっと少ないことでもあり、なあに、どうということはないのかもしれない。アメリカでは右折車(車が右側通行なので日本での左折車にあたる)は、たとえ赤信号でも危険がなければ進行してよい、というルールがあるそうである。これも初めて見たら本当に驚くが、これと似たようなものなのかも。

 確かなことは、不遜にも優先通行をしようとする右折車に腹を立てて、こちらが正しいのだからと強引に交差点に突入してはいけない、ということである。よく考えてみると、車の運転において、正しいのは事故を起こさないことであり、ルールを守ることではない。相手が酔っ払っているかなにかして、まったくの赤信号で突っ込んできたような、仮に事故になれば百パーセント相手が悪いような場合でさえ、あとでもらえるかもしれない賠償金よりも、大切なのは自分の健康、そしてかけがえのない時間である。たとえ「市民の義務」ということについて考えたとしても、それは「むちゃな運転をしでかしたドライバひとりと刺し違える」ではないはずである。少なくとも、むちゃな運転の車に腹をたてても、ほんとうに、何の得にもならない。天災に向かって腹を立てるようなものだ。冷たい考え方のようだが、危ないやつに対しては、こっちが被害をこうむらないように、やり過ごすのが最善の策なのだと思う。

 と思ってもなかなか実行は難しく、気がつくと自分の車の中でぶつぶつと文句を言ってストレスをためてしまったりするので、上は自分に言い聞かせる意味で書くものである。「腹を立てずに相手を立てろ」。本当に、これはAルールだと思う。まごまごする父親を助けてあげるべきだというのと、同じである。


※1 当然ながら、これ自体はBルールである。
※2 心臓のある側をより安全な車の内側にすべき、とか、赤い光のほうが遠くまで届くため目立つのでより重要な通知のために使うべき、というような理由は、細かく見ればさまざまあると思われる。AルールBルールの分類は程度問題ということだろう。
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