かつては多くの学生でにぎわったこの下宿屋も、今となっては空き室が目立ち、もう数年前から新入生も受け入れてはいないようである。いや、仮に受け入れていたところで、今となってはこのようなトイレ共同風呂なしの学生向けアパートに住みたがる新入生が、果たしているものかどうか。自然、取り残されたように住んでいるわずかな残りの学生が卒業したあとは、取り壊されて跡地にマンションかなにかが建つ、という運命をたどるであろうことは、誰の目にも明らかに思えた。しかし、博士論文との泥沼の闘いの日々を送っている私個人としては「卒業」などというものは現実問題として「そのうち誰でも月世界旅行ができるようになる」と同等の不確定な未来としか思えず、結果として、幾人もの先輩たちを、同い年の仲間を、そして後から入って来た後輩たちを見送りつつ、私は長老然としてその下宿の一角、二階の北東の隅の部屋に何年も変わることなく寝起きしていたのである。
私はその日、研究室に行く用事がなく、久しぶりの休日を洗濯と掃除に費やしていた。こんなことをしているからいかんのだと思いつつも、やはりある程度、生活をキープする為の作業をせずには暮らせない。この洗濯物についてだが、かつては部屋に干すかそうでなければ近くの銭湯に併設されたコインランドリーの乾燥機を使うしかなかったところ、そこがこの下宿屋の懐の深いところで、今年から空き部屋に洗濯ロープを吊った「物干部屋」というものができ、そこに勝手に入って干してくるという行為が可能となっている。南西側に位置するこの部屋に今年の春まで住んでいた後輩が、これについてどういう感想を抱くかはわからないが、それはそれとして、この物干部屋、私の住んでいる部屋よりもよほど日当りがよく、もしかしてこちらに引っ越した方が居住環境としてずっと上なのではないかと思う。
しかしではどうか、いざ私の部屋と交換するかというと、長く住んでいて親戚みたいな感じになった管理人さんにちゃんと頼めば断られることは絶対にないとは思うものの、そのような下宿内引っ越しに手間と時間をかけるよりもできれば論文のほうをもうちょっとなんとかして、卒業して就職してこのような下宿屋を出てしまったほうがいいに決まっていて、そう思うと私は今一歩、自分の居住環境にそうした小さな改良を加えることに踏み切れない。というわけで私は空き部屋に洗濯物を広げて干している。ぎりぎり梅雨に入ったかまだ入ってないか、という時期の、おそらく最後ではないかと思われる天気のよい週末、他の何人かの学生もここに大量の洗濯物を干している。窓が開け放たれたこの部屋は、吹き抜ける風の中、四畳半の天井を埋め尽くす洗濯ものが波のように揺れて、にぎやかな海辺の街を思い起こさせる。
洗濯物を干し終えた私は、自分の部屋へ向かう前に、しばらく、窓の外を眺めた。下宿の外には、同じほどの高さのトタンや瓦の屋根がひたすらに、それはもうひたすらに連なり、その向こうに風呂屋の煙突、駅の近くに新しくできた高層マンション、といった風景が見える。勇壮な夏雲が、いくつもの塊になって、地平のかなたまで続く空中戦艦の艦隊のようにゆっくりと流れてゆき、そして突然そこに、地鳴りのような音を立て、飛行機が低く大きく通過してゆく。どういう関わりかはわからないものの、見ていると空腹を覚え、近くのお好み焼き屋に行くか、それとも王将で定食を食うか、と迷い、それもどうにもおっくうで、また外出するにはいましがた洗って干したシャツを着なければならない──わけでもないがちょっと恥ずかしい──ことにも気づき、結局、自分の部屋で買い置きのラーメンをゆでることに決める。あまりにも居心地がよく、以後、ここ以外に住むことはできないのではないかと思える自分の部屋。ジャンボジェット機のコクピットのようにすべてが計算された構成などというとちょっと大げさなあの部屋。
私は廊下に出て、その板張になった上を歩いた。これもまた何年も通い慣れた廊下である。新入生としての居心地の悪い一年を過ぎ、その次の一年、その次の一年と、徐々にここにも慣れ、先輩として大学のことやら周囲の飲み屋のことやらで誰からも頼りにされるようになり、やがてその段階も過ぎて、その末になんということか、どうやらこの下宿の最期をみとることになりそうな私という存在について、その定義は今この瞬間には明らかだ。すなわち「現在栄光荘二階の廊下を歩いている人間」である。勤勉な管理人さんのモップによって、それから数多くの先輩と同輩と後輩の足の裏によって磨かれてきた廊下は、黒く光ってひやりと冷たく、夏になるとここに頭を出して寝るとけっこう気持ちがいいのである。その、今ひとたびの夏がもうすぐやってくる。廊下は長く伸び、私の部屋のさらに先で右に曲がり、その奥にまだ住んでいる幾人かの住人の部屋へとつながって、さらに渡り廊下を通じて別棟(そちらもがらがらのありさまである)に続いている。
私は首を振った。その廊下を曲がって、今にも見慣れた顔の後輩と、その彼女が出てきそうな気がしたからだが、その後輩は、遥か昔のことにも思える今年の三月、名古屋のほうのメーカーに就職が決まって、この下宿屋を出て行った。あの丸い可愛い顔をした彼女は今も一緒だろうか。おととしの夏だったか、この下宿屋の狭い庭で、かれらと無理矢理バーベキューをしたことが思い出される。あれはまずかった。思い出すだにあれはいけなかった。
私は頭をかいて、唐突ながら今晩あたりさすがに銭湯に行かねばならない、と決意して、それからポケットの鍵を取り出した。洗濯する間、自分の部屋の扉の鍵を、律儀に閉めておいたのである。盗まれるようなものは何もないし、第一、洗濯は、例の物干し部屋ができた今となってはなおさら、この栄光荘の中だけで完結する作業なのだが、これも習慣というものである。私は鍵を鍵穴に差し込んで、無意識に反対向き、回らない方向に回す。がちん、と指にショックを受けて、顔をしかめた。あいててて。まったく、何年暮らしても覚えられないことはあるのである。思わずその痛かった指を口元に持っていって、そこで、自分の名前が呼ばれたことに非常な驚きを覚えながら振り返る。そこにいたのは、残り少なくなった住人の一人であり、確か文系のどこかの大学院の学生だったはずの、後輩の一人だった。困った。いや、普通なら困ることはないのだが、女子学生だというのが特に困る点だ。
「なにかな、国友さん」
と私は、口元の指に金属の味を感じながら、その女子の名を呼ぶ。不思議なもので、この下宿に初めてやってきたときには、どの住人の名前も絶対覚えられないと思ったものだが、立場が反対になると違うのだ。入ってくる新入生について名前を覚えられず苦労した、ということはついにない。あるいはすべてが新しい新入生と新しいものといえば新入生だけという、そういう差なのかもしれない。国友真由という名前のこの女子生徒に関して、私は特にこれといった関心も持っていないものの、名前と、あと住んでいる部屋(別棟の、二階の、確か四番目の部屋)だけは不思議と忘れたことはなかった。他の住人すべてがそうだが。
「いえ、あの実は」
「うん?」
「引っ越すことになりまして。就職がきまったので」
「ほほう」
ほほう、もないものだが、他に感想がなかったのでこれはそういうものだ。この季節に、とは思うが、大学院に何年も通っていると、そういう例にほかで出会わないわけではない。むしろカタギの人間のように四月を期に就職することのほうが珍しいくらいである。しかしそこで気がついて私は続ける。
「あ、引越し、何か手伝おうか。大丈夫?」
「いえ、いええ。大丈夫です」
送別会をやったほうがいいのかな、とも、私は思うが、同時にそれも現実的には難しいと気づく。この下宿屋でも研究室でも、私がそういう仕事をしたのはもう何年も前のことで、こういう場合幹事をやってくれていた後輩はすでにこの下宿にはいない。べつに私が音頭をとって予約をとって生ビールで乾杯とやればいいのだが、それも恐縮されそうな気がした。国友と私は特に親しい仲ではないのだ。
「それで、いつ?」
就職はどこに、ああそこか。そっちは実家のあるほうで、ああそうかそれはいいね等、ひとしきり立ち話をしたあとで、私はそう訊いた。つまり、引越しはいつか、という話である。
「それが今日なんです」
「えっ、荷物を?」
「運び終わりました」
私は首をひねった。ぜんぜん気づかなかった。あまりにも気づかなかったので、それを口に出して言ってみた。
「ぜんぜん気づかなかったよ」
「そうですか」
国友は、そう言うと、手に持っていた小さな包みを私のほうに出した。コンビニの袋だが、見ると中にカップ麺が数個入っている。
「引越しそばです」
「ああ、ありがとう」
引越しそばとはそういうものではないはずだが、おそらく引っ越すにあたって、買い置きがあまったのだろう。どこか遠くから、飛行機の音が聞こえて、その音が私と国友とカップ麺の袋を包み込み、それからふたたびあたりが静かになる。そうなる間、わずかな時間だけ私は迷って、それから一番上に載っていたカップうどんをとって、頭を下げた。
「もう一つどうぞ」
「ああ、どうも」
次に入っていたのはカップ焼きそばだった。私はそれを袋から取り出して、目の高さに、ささげるように持ち上げてみる。
「それじゃ、行きます」
軽く手を挙げて、国友はきびすを返した。私は、その後姿に、うん、とうなずいて、それから突然、もう彼女とは二度と会うことはないのではないか、と気づく。そうだ。そういうものなのだ。
しかし、まあ、だからといって、どうなるものではない。私は、そのまま、国友の後姿を見送った。そして、私という人間の定義が、ここしばらく「現在栄光荘二階の廊下にいる人間のうち男性のほう」だったのが、やがて「現在栄光荘二階の廊下にいる人間」に戻った。残っているのは私と、冷たく静まり返った廊下だけで、私は遠い廊下にたった一人、まだ誰でもなく、手にカップ麺を二つ持ったまま、そこに立っていた。
このカップ麺は、それから二週間、私の部屋に置きっぱなしにして、それから夜、一人で食べた。