ジョン平とケースの中の忠犬

「しげる、こっちだ、よ」
 と遠くから呼ばれてぼくは見に行って、本当だったのでびっくりした。そこにあったのは、確かに一頭の、ジョン平より一回り小さい、白っぽい犬のはく製だった。その横には「ハチ公」と書いてある小さなプレートと、説明文がある。使い魔ハチ公のはく製が、そこにあった。
「うわあ」
 というへんな声しか出なかったのは、ぼくが悪いのではなく、もちろんハチ公が悪いのでもなくて、だいたいにおいて、はく製というものはそういうものなのだと思う。秋田犬という種類だろうか。白い犬が、こっちを向いて軽く首を傾げているようにも見える。その前で同じポーズを取っているジョン平と見比べるとわかるが、犬なのだが、微妙に犬ではない、という感じがするのだ。生きてはいないのだから当然だと思うが、考え始めると背筋がぞくぞくしてくる。
「ね?」
 とこちらを見て念を押したジョン平に、ぼくはうなずくことしかできなかった。

 どうしてぼくとジョン平がここに来たのか。そもそもなことを言えば「修学旅行だから」「自由行動だから」というので説明になっていると思う。今日、ぼくらの中学は修学旅行の二日目で、東京は上野で自由行動ということになっていた。それで、ジョン平が来たがったこの博物館にやってきているのだ。しかし、ほかにいくつか候補がある中で行き先としてこの国立魔法博物館を選択したのは、まあそんなに変なことではないとして、その「魔博」に入るや、同じ班で行動することになっている鈴音や浜野と離れて、まっすぐにこのハチ公の前にぼくを引っぱってきたのは、いったいどういうことなのだろう。ハチ公の前に立って、一生懸命そのはく製の顔を覗き込んでいるジョン平は、何も答えてくれない。見に行くなら見に行ったらいい、放っておいたらいいようなものだが、やっぱりそうはいかない。ジョン平は、いちおう、ぼくの使い魔ということになっているのだ。

「鈴音たちが待ってるよ」
「もう、ちょっと」
 ぼくは手持ちぶさたになって、ジョン平の脇から覗き込んで、説明書きを読んでみた。ハチ公という犬は、ある大学の先生の使い魔だったらしい。先生が亡くなって、身寄りがなくなったハチ公は、それでも先生を迎えに駅まで毎日やってきて、その忠義ぶりが人々を感動させて、それでこういうふうにはく製になっている、とのことなのだが──なんだか納得がいかない。特に「忠義ぶり」と「はく製」の間に大きなギャップがあると思うのだがどうなのか。ぼくはふと「ハチ公」と「ジョン平」という名前が構成要素としてよく似ているのではないか、と思いついて、それを指摘しようとして、やっぱりやめた。よく考えるとあんまり似てないような気もしてきたからだ。あと、唐突に「みなしごハチ」というのも思いついたが、ベタだと思うので書かなかったほうがよかったかもしれない。

「ねえジョン平」
 とぼくは、ジョン平の肩(といっていいかどうかよくわからないが、とにかく人間なら肩のところ)を引っぱって、ジョン平をこちらに向かせた。ジョン平は、不承不承というか、ヤキトリを串ごと食う、今食ったところ、というか、そういう顔でこちらを見ている。
「もういいだろ。な、だいたい、どうしてハチ公なんだよ」
 ぼくは腕時計を指差して言った。集合時間まで、ものすごく暇がある、という時間では既になくなっている。実際には、遅れてもどうということはないのかもしれないが、鈴音や浜野を待たせていることを思うと、余裕を持って行動したかった。
「うん」
「うんじゃないって。忠犬になろうかって、思ってるの? ジョン平」
 ジョン平は、黒い目でぼくのほうを見て、それからついと目をそらした。
「おい」
 と言うのに、ジョン平は、
「えらい、つかいま」
「ああ、偉い使い魔なんだよ、ハチ公は」
「えらい?」
「そうだよ」
 偉いから、主人の言うことをよく聞くんだ、と口から出かかった、そのとき、
「えらいと、こうなる?」
 と、訊かれたので、ぼくは二の句が継げなくなった。こっちを、ひた、と見ているジョン平と、ケースに入ったハチ公を見比べる。こうして飾られるというのは、どうなんだろう。確かに、あんまりうらやましい未来ではない気も、する。
「えーと、その。そうだなあ」
 ぼくは頭の後ろで手を組んで、それから、こう言った。
「時間に遅れると、こうなる、ってことじゃないかな」
 なんだかうまいことを言おうとして失敗しているような言葉だが、それしか思いつかなかったのだからしかたがない。それを聞いたジョン平が、もう一度ハチ公と見つめあって、それから、なんともいえない、苦い顔をしたので、ぼくは思わず笑ってしまった。笑っている場合ではないかもしれないが。

「冗談だけど、さ。行こう。遅れたらトルバディンになんて言われるか」
 ぼくはジョン平の暖かい背中をぽん、と叩く。トルバディンというのは鈴音の使い魔で、口の悪い猫だ。
「うん」
 とジョン平は、やっとハチ公の前を離れた。最悪の場合、引きずっていかないといけないかと思っていたので、ぼくは心の底から安堵する。ジョン平はこれで大型犬の範疇に入る犬なので、かれが本気で嫌がった場合、ぼくの力ではどうしようもない。
「しげる?」
「うん?」
 なんとなく相づちを打ったぼくに、ジョン平は舌を出してはっは、と笑って、こう言った。
「つぎは、たろじろ、みに、いこうよ」


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