自分で蒔いた種だから

「自分で蒔(ま)いた種は自分で刈り取れ」
 あるいは、
「自分で蒔いた種だから自分で刈り取る」
 といった表現がある。原因を作った人が結果に責任を持つべきである、というようなことだが、初めて聞いて以来いつも気になっている。なぜこんな言葉があるのだろう。少し妙な言葉ではないだろうか。

 作物を刈り取って収穫を得るというのは、そもそも、どちらかといえばみんながやりたがる類の仕事である。細かいことを言うならば、刈り取り作業は嫌いだが収穫を得るのは好き、もっと言えばおいしく料理された作物を食べるのだけが好きで他のすべての作業は嫌い、というふうに言えなくはないが、まず、通常の感覚では、種まきや雑草とりや施肥よりも、刈り取りは楽しい仕事である。逆に、せっかく自分で蒔いた種が、いよいよとなって他人に刈り取られてしまったら、損である。たいへんな大損である。

 しかしどうだろうか。上の表現からは、むしろどうも「種まきは楽しい仕事だが、刈り取るのはいやな仕事」というニュアンスが感じ取れるのではないか。これは感覚的に変な主張である。なぜ種を蒔くかというと、普通は収穫を期待するからで、蒔いたときにはこれがやがて大輪の花を咲かせ、あるいは美味な作物を実らせることを期待されていたはずである。現に「蒔かぬ種は生えぬ」という言葉もちゃんとあって、こちらは非常に腑に落ちる。種まきもしないのに収穫は得られない、ということだが、ところがそれなのに、いざ収穫となって、おまえがやれいやおまえの責任だと押し付けあうことになってしまう。これは変だ明らかに妙である。種まきと収穫の間に何があったのだろうか。何かがあったに違いなく、これは説明を要する事柄である。

 私は思う。つまりこれは、
「蒔いた種がとんでもないものだった」
 ということではないか。違うかもしれないがまあよろしいそう考えてみよう。蒔いたときには、これはおいしい作物ができる種だ、と思って蒔いているのである。だいたいみんなそうだ。ところが、見込み違いは誰にでもあり、この場合もそうだった。実はその種は野菜の種なんかではなかったのである。何者かにすり替えられたものか、あるいは宇宙線の影響による突然変異の結果か、生えてきた植物は明らかに、期待していた作物とは似ても似つかないものであった。

 まったく、それはなんという見込み違いであったろう。作物が実らないどころか、やがてこの、不気味な緑色をした植物は、奇怪なつぼみをつけて奇怪な花を開く。悪臭は放つわ、不快な害虫を呼び寄せるわ、たいへん厄介なことになる。近くを通ると目がしょぼしょぼする。見た子供が泣く。犬が吠える。しかもやがて実った果実はどう考えても食べられない代物で、間違えてつっついた鳥が百メートルと飛べずに落ちて死ぬ。やりたいほうだいである。隣の作物も枯れる。野良猫が腰が抜けたようになって死ぬ。やがてこの植物は、近くに来た昆虫や小動物を捕らえて食べていることが判明する。

 もちろん人々は気がついて、この植物をなんとかしようとするのだが、さあこれが容易ではない。ここまで来るともはや「植物」というくくりで考えていいものかどうか疑問だが、気がつくとこの植物は恐ろしい進化を遂げているのである。それも生物学的な進化ではなくてポケモン的な進化である。どんな薬でも枯れない。燃えない。茎は固くて刃物が通らない。切りつけるとガラスを引っかくような音を立てて嫌がる。それだけならまだよい。この謎の植物は、茎の一部が変形した鋭利な鎌状の組織を、音に反応してぶんぶん振り回すので、危なくてとても近づけないのである。鉄砲を持っていても安心できない。固い種を銃弾のように飛ばして犬猫や近くを飛ぶ鳥を撃ち殺す能力も持っているのである。あと毒もあってトゲが刺さるとたいへんかゆい。

「あれをいったいどうしたらいいんだ」
「このままこの村はあの木のものになってしまうのか」
 村人たちは、そう言いかわして震える。まあ、植物は植物だから、基本的にそっとしてほうっておけばいいのだが、ほうっておいたらほうっておいたで、実をぼとんぼとんと地面に落として勝手に大繁殖をはじめるのだ。ついに村人たちの間に被害が広がり始めるにいたって、主人公は遅まきながら、立ち上がる。

「自分で蒔いた種だもんな」
 主人公は、あるいは内心恐怖におののいていたかもしれない。しかし、心配のあまり泣きながら取りすがる恋人を安心させようと無理に微笑みをつくってみせて、そして、決然とこう言うのである。
「自分で刈り取るさ」
 って、誰なんだ主人公。

 さてここまで書いたことをひっくり返すみたいでアレだが、「自分で蒔いた種」というのは、これはもしかして男性にとってのパートナーの妊娠出産のことを言った言葉ではないのか。と考えるとなんだかしっくり来て、というのも品のない言い方だがこのことを「種付け」と言ったりすることもあるからだが、とするとこの場合、刈り取るべきは生まれてくる子供ということになる。いかん。子供は刈り取ってはいかん。どうか、大切に育ててあげてください。もとはといえば、自分の蒔いた種じゃないですか。


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