雪だ。うわあ雪だ、と私は思った。本当に雪だ。雪だ。
雪くらいで大騒ぎすることはない。確かにそうなのだが、その冬はなぜか雪の少ない年で、住んでいる街でも正月に里帰りをした故郷でも、ついに降雪を見ないまま、冬という季節がもうすぐ終わろうかというところまで来てしまっていた。いや、降らなければ降らないでどうということはないのである。ところが、今年はまあ、こんな感じなのかなー、しょうがないかなー、と思いつつ出張でやってきたこの大分市で、雪に遭った。大分というのは九州の東海岸の、海岸線がクマの耳みたいにまるく膨らんだ形になっている、その下のところにある都市だが、そう考えてみると今いるのが本当にそこなのかはわからない。確かに飛行機に「大分行き」とは書いてあったし降りた空港に「大分空港」と書いてあるのも見たが、実は中国あたりに同じ漢字の市があって、知らない間にその、ターフェンとかなんとか読んだりする街に連れて来られたのかもしれないではないか。親分ターフェンだターフェンだ。どうしたいハチ。
そんなわけはない。
それに、積もるような雪ではない。ちらちらと、落ちた端から消え去るような雪の中、私は大分駅に降り立った。ここからはタクシーである。
大分駅のタクシー乗り場は、中型、小型と、タクシーの種類によって二ヶ所に分かれていて、別々に並ぶようになっている。そもそもこれ自体意味があることかどうか、昔から、タクシーの中型と小型の料金は大差ないようである。小型のほうが安いことは安いのだが、その差はせいぜい、初乗り運賃の数十円程度らしい。だから乗るほうとしては中型小型にこだわらなくても、まあ、来たタクシーに乗ればいいわけで、そのへんの事情は大分においても変わらない(と思う)。だから乗り場を分けることにそんなに意味があるとは思えないのだが、とにかくここでは、こうして厳格に分かれているのである。よくわからない。わからないながら、わざわざ高いほうに乗ることはないので、私は小型タクシーの乗り場に立って、やってきたタクシーに乗り込んだ。
「よそから来た、ようわからん人がいますけど、ワタシあれ、あほやなあと思いますねん」
とそんな口調だったかどうか不明だが、そのへんを訊ねてみたところ、運転手さんはそういう意見だった。つまり、たとえば一人なのに中型タクシーの列に並ぶ人がいる、ということだろう。
「ちゃあんと書いてありまんのにな」
確かに書いてある。書いてあるので、私はそういうものかと思って選んで乗ったわけだが、まあ、日本中そんなルールになっている場所はそう多くないと思われるので、初めて来た人をあほ扱いするのはちょっと酷かもしれない。しれないと思いながら、そうですねえなかなか気がつかないんでしょうねえ、と私は適当な相槌を打つ。話の接ぎ穂に、タクシーはどうですか景気悪いですか、と訊ねた私に、運転手さんは、ふはあん、という音を出して、こう言った。
「まあ、ええことないけど、ワタシ、儲けてもしょうがないからねえ」
「へえ」
「しんどうて、イベントでようけ人が来る日なんか、休んだろかと思うくらいですわ」
「ええ、でも、儲けてもしょうがない、ということないでしょう」
「いやいや、それが」
タクシーは、なにしろ今の私のこれは出張であり会社のお金なので、そこそこ長い距離を走ってゆく。運転手さんはその時間を利用して、自分の境涯について、こう説明した。
一。自分は既に年金をもらっていて、本来働く必要などどこにもないこと。
二。儲けると、その儲けに応じて年金が減額されるので、働けば働くほどなんか損した気分になること。
いちおう、稼げばそれに伴ってある割合で手取りは増える計算だが、考えてみると、このタクシーがメーターで千円走ったとして、うち五二パーセントは会社の取り分で持っていかれ、自分の懐に入るのは残り四八パーセント、四八〇円である。しかもそのうち半額二四〇円は年金の減額分になるので、結局、二四〇円しか懐には入らない。入りませんねん、と運転手さんはトウトウと説明してくれた。私は手帳に四八パーセント、とメモしておいた。なんだか面白かったからだ。
「まあ、一生懸命やろかちうキモチにはなりませんな」
「な、なるほど、ははは」
ははは、などと笑いながらタクシーは走る。雪は、すぐに止んでしまった。つまらない。
タクシーの運転手というのは、誰にでもできる仕事ではないが、そんなに、むちゃくちゃに重労働ではない(ように見える)。現にこのように、年金をもらえる年齢の方でも可能な仕事である。これが「プロ野球選手」なら、とこれは極端な例だが、じゃあたとえば同じ運転手なら宅配便の運転手など、けっこう、ある程度歳をとってしまうとやってられない仕事ではないか。しかし、タクシーならできる。できる気がするがどうか。極端な話、運転さえできれば勤まるんじゃないかなー、と横から見た限りでは思う。とすれば、私は思うのだが、タクシーの運転手さんのお給料というのは「年金などによる副収入がなければ生活できない」程度まで低下しうるのではないだろうか。
理論上、健全な競争が働く場合、世の中のすべての仕事は「おいしい仕事はないし、損な役目もない」という状態に落ち着くはずである。なぜかというと、たとえばあるとき、過当競争などにより、ある職業では生活できないくらい給料が低下したとする。それでは食べてゆけないので、当然ながら、新しいなり手はいなくなるし、現にやっている人も転職を考える。すると、機会の量が変わらず担い手が減るわけだから、同じパイを分ける人数が減る理屈で、その職業の人、一人あたりの手取りが増える。逆に、楽なわりに儲けが多い、おいしい仕事には人が殺到するので、競争が激しくなって取り分が減ってしまう。このようにして、給料は内容に見合う、適正なレベルに落ち着くのである。
もちろん現実には、さまざまな要因があってモデル通りには行かない。実際に転職はなかなか容易ではないし、タクシーなら二種免許のような資格が必要だったりする。ただ、この運転手さんのように、年金をもらっていてなおかつ運転手もしている、という人がいると、この人の存在が、確実に、運転手の平均給与を引き下げるのは確かである。「これで一家を支えなければならない」という人が持ちこたえられないような不況でも、この運転手さんのような境遇の人は平気で続けられるからだ。こういう運転手が多くなるにつれ、一家の大黒柱がタクシー運転手、という家は存在できなくなってしまう。
だからといって、どうするかというとどうもしないしどうもできないわけだが、タクシーはこうして目的地の客先に着き、私は財布からお金を出して、領収書をもらった。なぜか普通タクシーの領収書といえばそうであるようなレシートみたいなプリントアウトではなくて、領収書用紙にボールペンで金額を書いてくれたのだが、これは何か意味があるのだろうか。年金的に。と、そんなことを考えていると、ふと、この四分の一が国庫に入ることに気づき、まあ、それはそれで、いいような気がしてくるのだった。私はタクシーから降りる。さあ仕事だ。考えてみれば、ここでの私の仕事の成果は国庫に入ることはない。これはけっこう、幸福なことである。