四日前の明日

 新宿の駅前に「スタジオアルタ」というものがあって、その壁面に、駅前から見えるように大きな画像表示装置がすえつけてあることは、昼の番組などで有名である。ここ以外にも、各地の主要ターミナル駅の駅前などにこれと似た機能を持つものがたまにあるが、ところでこの手のスクリーンのことを一般名詞として何と呼んだらいいだろうか。「街頭テレビ」というとちょっと違うものを指すような気がするのだ。しかし、今回はとにかくその、街頭にあるテレビの話である。

 私が住んでいて、通勤に使っている駅前にもその街頭テレビがあって、ちょっとした番組やコマーシャルなどを流している。バスを待ちながら、つい見てしまうのだが、これについて、ある疑問があったのである。

 まず、この街頭テレビでは、私の見ている限り、番組制作はほとんど行わず、広告主から請け負ったコマーシャルを順に流しているようである。小さなテレビ放送局という意識は薄く、むしろ「大きな絵が動く看板」として運営されているわけだが、まあ、言ってしまえば私企業が自分ところの看板に何を表示しようと自由である。そこに文句を言っても始まらないだろうと思う。幸いにも、番組の中にはビデオクリップがあったり、音楽チャンネルの広告を兼ねてはいるもののヒットチャートの紹介もあったりして、必ずしもコマーシャルばかり見ているという感じにはならない。ところが中に一つ、どう考えても問題があるものがあって、それをずっと変だな妙だなと思っていたのだった。それは、これも一種の広告だと思うが「茨城新聞」のものである。変なのだ。ニュース速報を流しております、という感じの画面が表示されるのだが、内容が、ほとんどの場合、今日のニュースではないのである。

 一回か二回、見かけただけなら、ふうん、という感じである。ちょっと調子が悪いのかな等と思うだけなのだが、何年も見ていると、だんだんわかってきた。変だと思ったのは、正しかったのだ。どうもこのニュース速報的なものは、一週間か、もしかしたら二週間に一回くらいしか更新されず、その間は同じ速報が繰り返し流されるものらしい。ニュース速報だとして、それは週一で更新されるニュース速報なのだ。もちろん、繰り返して書くが私企業が自分のところの看板になにを表示しようと自由であって、文句を言うほうが筋違いではある。ただ、契約の都合か何かで一週間に一度以上更新できないとして、それならそれなりに、古びないニュース(将来のイベント情報やマメ知識の類)を中心に放映するとか、やり方があると思うのだ。現実には、もう終わった選挙への立候補のニュースなんかが流れていて、かなりげんなりする。なぜこうなっているのだろう。わからないが、そういうことだと気がついてしまうと、どうも見ていてうらさびしい気持ちになる。

 いや、それだけならまだよいのだ。古いニュースを漫然と流すのは、一種の怠慢だと思うが、怠慢を飛び越えて、もしかしたら積極的な悪ではないかと思うものがある。「明日の天気の予報」である。速報の中にこれが混ざっているのだ。これはかなりひどい話である。普通、まさかこんなところに「四日前の明日の天気」が表示されているとは思わない。私は知っているからいいが、たまたまここを訪れて、初めて見た人はかなり混乱すると思うがどうか。何を表示しようが勝手と言っても、これはもう、見た人に不利益を与える誤った情報と言っていいのではないか。人不足など予算の都合で更新がままならないとしても、これだけはやめてほしいと、ずっと悲しく思っているのだった。少しの手間と知恵をかけるだけで、なんとかなりそうに思えるではないか。

 ところが今日、バスを待っている間に見ていて気づいたのだ。例によって、茨城新聞のニュース速報が表示されはじめて、私はあーあ、と思っていた。ヒットチャート流しておけばいいじゃないかそれならちょっと古くても害がないし、とか、アパマンショップの広告を流しておけばいいじゃないか上戸彩だし、などと思っていたら、ニュース速報を二つほど流したあと、突然猫の写真になった。

 あ、猫だ、と私は思った。猫の写真だ。やあ、可愛いなあ。

 と猫が何匹か表示されたあと、いつものアパマンショップに戻ったのである。本当にそうなのかどうかはわからない。今日たまたま私が見たタイミングでそうだっただけかもしれない。ただ、私は思うのだ。これはきっと「天気予報はいくらなんでもアレなのでそのタイミングで猫に差し替えた」のだと。四日前の明日の天気は曇りときどき雪、というのを猫で隠したのだと。

 私は思った。こうして、少しずつ世界は改善されてゆく。ナイスジョブ。ナイス猫。


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