半分だけのメダリスト このエントリーを含むはてなブックマーク

 日本というのはよく考えるとこの点たいした国であって、私はドーキンスの本と、あとはポストに誰かが置いていったパンフレットでしか見たことがないのだが、生物の進化というものは存在しなくて、今いる動物は今あるかたちに神様が作ったのだと思っている人は多い、らしい。たぶん。外国には。

 などといって私の大叔母さんあたりがそう思っていたとしても私は預かり知らないことだが、とにかく、進化による漸進的な改良というものは実在せず、今いる生物がみんな知性による設計によっていまある形に作り出されたものであるという人の、その主張の一つに、たとえば「半分だけの翼が何の役に立つのか」ということがあるらしい。

 鳥だ。鳥は飛べる。しかし、進化の考え方によれば、鳥であれほかの何であれ、もっと単純な生き物から進化によって今の能力を手に入れたはずである。とすれば、鳥の祖先は進化のどこかの時点で飛ぶ能力を身につけたはずで、その親は飛べなかったけど子供は飛べた、という境目がどこかにあったはずである。

 これは進化上の大きな跳躍であったに違いない。なにしろ、親は飛ぶための羽を持たないのに、子供は持つのだ。このようなことがあり得るだろうか。飛べないトカゲみたいなのが羽の生えた鳥を生むような、親から子、一代にしていきなり完璧に動作する羽が備わるような大ジャンプは、遺伝の機構を考えると確率的にまずありえない。では親は「飛べないがもうちょっとで飛べるようになる翼」を持っていたはずだが、ここで問題がある。それが何かの役に立っていたのか、ということである。

 なにしろ、この翼は飛べないのだ。大きさが中途半端で、何の役にもたたない翼というのはつまり翼に似た飾りであって、そんなものを持っていることが親の生存に有利であるはずはない。だからそんな「鳥の親」は存在し得ないはずである。中途半端な翼を持つことが何か有利でないと、親は翼に似た何かを身につけることがなかったはずだが、飛べない翼は役には立たないからだ。以上のように考えると、鳥は存在えしないはずだが、現に鳥はいるのであって、しかるがゆえに進化の理論がどこかが間違っているに違いない、という論証である。

 この話がどう解決されるかはドーキンスに聞いていただくとして、今日ふと気づいたのだが、つまりこれなのだ。何かというと、ある日突然、自分の子供に「おれ高校辞める。ミュージシャンになりたい」と言われた親が子供に「アホなこと言うとらんとちゃんと大学にゆけボケナス」と言い返す論拠に、この「半分だけの翼」理論はなりうるということなのである。

 説明しよう。つまり「半分だけのギターや半分だけのスケート技術は身を立てる役には立たないけど、半分だけの知識は実社会で半分だけ役立つ」ということである。みんな知っていることではあるが、ギタリストとして、あるいはフィギュアスケーターとして、生活の糧を稼ぐくらい熟練するのはかなり大変なことである。なあにやってみなければわからない。たまたまそうしてギターを始めた結果、世界的なギタリストとして名を馳せるようになりアイチューンでベストテン入りするかもしれない。もしそうなれたら大金持ちになることだってできる。

 しかし、みんな知っていることではあるが、それを確率で言えばかなり低いはずである。ギターをかなりがんばってやっても、たいていは「他人に聞かせてお金が取れるギタリスト」にはなれないのだが、さてここだ。この「半分だけのギタリスト」というものは、空を飛べない中途半端な翼を持った「鳥の親」と同じなのである。つまり。生存競争上、あんまり役に立たない能力にしかならないのである。実際にはそうでもないと思うが(たとえばキャンプのときギターが少しでも弾けたら楽しいし彼女もできそうだ)、お金儲けということで言えばその通りだ。

 ところが、ふつうの高校なり大学に行ってふつうの勉強をすることは、そうではない。ふつうに勉強してふつうみんなが持っている知識、ふつうに考える力、仮説をたてそれを実証する力、論文をまとめる力を身につけると、どの職業についてもある程度役にたつ。しかも1か0ではない。完璧でないと、百人敵がいたらそのうち九十九人に勝てるような力でないと役に立たない、ものではないのだ。

「二位ではだめなのか」という議論がある。二位ではだめなのだ。ギタリストや、フィギュアスケーターや、スーパーコンピューターの開発ではそうである。しかし、まっとうに勉強してまっとうに社会人としての能力を身につけることはそうではないのであって、五十位なら五十位なりに、一万八千九百六十二位なら一万八千九百六十二位なりに役に立つのである。

 逆に言えばこれは「世界に通用するギタリスト」とか「金メダルをとるスケーター」を育てたかったらどうしたらいいか、ということに対して、ある答えを与えてくれる。つまり「半分くらいのギタリスト」「半分くらいのスケーター」にたつきの道が与えられるような、社会の仕組みを設ければよい。それが本当に国家が目指すに足る目標とするならばであるが、そのようにすそ野を広げることによって優れたプレーヤーは現れてくるものであるし、実際、Jリーグあるいは日本代表を頂点とするサッカー界はそのようにして日本人から優れたプレーヤーを生み出そうとしていることが、よく読みとれる活動を行っている。

 であるからして、仮にあなたが為政者であって、自分の国をもし、科学技術をもって身を立ててゆく国として育てたいと思っているのであれば「中途半端な技術者」なり「中途半端な科学者」が生きる道をうんと拡充してやるといいのではないかと思う。単に一位をねらえるエリートを選び出して集中して育てるのではだめだ。それはトカゲがいきなり飛べる子供を作ろうとするようなものである。確かに二位を目指しては二位以下にしかなれないかと思うが、二位なり一万八千九百六十二位にもそれなりの報いを与える制度があってこそ、いつかそこから大空を羽ばたく鳥が現れてくるのである。それこそが漸進的な進化の仕組みというものであるから。


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