靴に履きこなされる このエントリーを含むはてなブックマーク

「足下を見る」というのが本来どういう意味の言葉かはともかくとして、私の足下を見れば、だいたい私がどういう人間かわかるはずである。つまり、いいかげんで身なりに気を使わない人間であって、それは特に仕事中の私を見ればわかる。だいたいサンダルを履いているのであって、そうでなければ安全靴を履いている。安全靴というのは足先に金属のガードがついた靴で、足の上にものが落ちて来たときにつま先を怪我しないという機能的な靴である。戦闘にも役に立って、装備すると防御力が1、攻撃力が2上昇する。

 そういう私なので、普段履く靴の選択基準が「存在することをもってよしとする」という方向のものであるのはしかたがない。だいたい、一足か二足の靴をはきつぶすまで履いてから次を買う、というシステムでもって自分の靴箱を運営しているのだが、この方式で困るのは「一つの靴をはきつぶしてから、同じものを買えない」というところにある。靴というのはなんだかんだ言って優劣があり、あるものは他のものよりしっかりしていて歩いて疲れにくく、また耐久力が高くて長く使っても古くなりにくい(ここは「長く履いてもくたびれない」と書きたかったところだが、前段とややこしすぎるのでこう書かねばならない)。その反対に、すぐぼろぼろに破れてしまったり、歩いていて私の足に噛み付き、ひっかいて、足を血だらけにする靴もある。問題は、次を買う頃には前の靴がどこで買ったかわからなくなっていることで、よかったからまた買うとか、ひどかったからもう買わないなどの、学習が役に立たない。「どこで買う」もなにも、そんなにたくさん靴を買う場所があるわけではないのだが、事実を言えばそうなのである。

 靴の品質や自分の足とのフィット感は、靴を買う場所よりはどちらかといえば靴のメーカーやブランドに依存しているのではないかと思うが、ブランドといっても有名ブランドの靴などは最初から買わないのであって、だからして「◯◯の靴をまた買おう」とか「××の靴はもう買わないでおこう」とはならない。だいたいは「これは『東京靴流通センター』で買った靴だったはずだ」という程度の目算でもって買ったりするのである。これは非常に恥ずかしいことであって「ケーズデンキで買った洗濯機がよかったからテレビも買おう」とか「川又書店で買った本が面白かったからまた川又で買おう」と言い換えてみると私がどんなに変なことを言っているかがよくわかる。靴屋さんが私の足下を見て「こいつは靴のことなんて何もわかってない」と考えたとしても、しかたがないことである。靴を買いに行ってスリッパを買って帰ってきたりしないだけマシと言えるが、それもあと三十年ほどしたらどうなるかわからない。

 つまり、この状況はいかんと思っていて、打破しようと思っているのである。少なくとも靴には何らかの名前がついている。世の中には「WX320K」のように型番しかない商品があって、それは特にちょっと前の携帯電話で顕著だったものだが、靴は仮にも靴なので、無名でもなんでも、いちおうブランド名がつけられている。サンダルであろうがスリッパであろうが一応名前がついているはずであって、だからして今回、靴を買うにあたって少なくともブランド名を覚えておこうと決意したのである。

 そうやって買ってきた靴が「クレイジージャック」という名前のものだった。どうだろうこの安直さ。周知の通り、私は長いこと「ジャッキー大西」と名乗っていて、靴の名前を気にし始めたとたんにこの靴との出会いである。これは私のために作られた靴なのではないかと思った。クレイジージャック。格好いい。クレイジーというのがたとえば地上波テレビ放送で使っていい単語なのかどうかよくわからないが、クレイジーキャッツがいいのだからクレイジージャッキーも大丈夫だろう。場合によってはこれからはクレイジージャッキーと名乗るつもりになって私はこの靴を買ったのであった。

 買ったのであったが、さあどうだったか。私が靴を買うときの難しさの一つとして「靴屋でためしにちょっと履いてみたとき」と「翌朝会社に履いて行って何キロか歩いた後の感じ」がまったく違うということが挙げられる。何度痛い目にあってもそうなので、これは私の遺伝子に刻まれて決して治らない類の欠陥ではないと思うのだが、このクレイジージャック靴、私の足に噛み付く類の靴だったのである。

 噛み付く靴とは何か、それはどういうものか、と知らない人は訊ねるかもしれない。もしも上の靴選びに関する欠陥が私を含めた人類の少数派のみが持つ固有の欠陥であるとすればなおさらそうである。そうではないと思うが、訊いてみたことがないのでやはり説明せねばならない。要するに、歩いていると足のどこかが痛くなる類の靴のことである。痛くなる部分はあちこちある。多くはかかとで、いわゆる「靴ずれ」というのはこのことだと思うが、他にも足の指のどれかが痛くなったり、珍しいところでは土踏まずの上あたりがケガしたことがあった。

 今回はもっと上であった。この痛いところ、痛いときにここの部分の名前が出て来なくて思わずネットを通して助けを求めたりしたのだが、足首にあって、両足のそれぞれ左右にちょっと骨がでっぱったところがある、ここのところである。教えてもらったところによるとどうやらこれは「くるぶし」というらしい。言うらしい、というか「くるぶし」という単語は昔から知っているのだが、それがここのことを言うというのはあんまり意識していなかった。漢字で書くと「踝」だ。こう書くと、ああなるほど、足にある木の実みたいに見える。ところで、手首にある同じような出っ張りはなんと言うのか。やっぱり手篇に果と書くのか。

 わからないまま先に進むが、くるぶしだ。歩くたびに靴にくるぶしが、特に左のくるぶしが攻められて、痛い。靴に関して怖いのは、最初は「あ、痛いな」と思うくらいのことなのだが、歩いているうちにそれがひどくなる。一歩ごとに同じところがガンガン当たるので痛みが蓄積してゆき、しかも「ある距離を歩く」というのは、実はものすごい数の「一歩」の積み重ねなのであって、だからして最終的には一歩ごとに「ひい」「うひゃあ」「痛」「痛い」「痛いいたい」「いたたた」「痛いよいたい」「助けて」「きゃあ」「痛いよう」と思いながら歩かねばならなくなる。これは忙しい。忙しい上に痛いのであって、たいへんなことである。しかもたいていの場合、足を引きずるとか、ちょっとした歩き方の変化では足の痛みはどこにも行ってくれない。結局一歩ごとに痛いのだが痛いのを我慢して歩くしかない、ということになるのである。

 なぜ痛いのか。理由は考えてみた。要するにこの靴、私の足にふさわしいよりも、ちょっと深い。私の足の裏面からクルブシの下端までの距離をlとする。靴の足が収まる部分(またしてもなんというかわからない。「靴底」では靴が地面に当たる部分ということになるのだが)から測定した、靴の上面までの距離をLとする。通常、L<lないし、長靴がそうであるように靴の口が十分に広くて私のくるぶしまでを覆う大きさになっていなければならないが、この靴においてはL>lなのであった。すなわち当たって痛い。数式で書いてもなんの解決にもならないくらい痛い。

 私は思った。確かに痛い。痛いが、今までもこういうことはあった。いつまでも痛いということはなく、履いているうちに不思議と靴のほうが変形して(あるいは考えたくないことだが私の足のほうが変形して)痛くはなくなるのである。昔の日本陸軍でもそうだったらしいが靴に関しては今でも事情はなんら変わらない。特に今回は靴を選んだのは陸軍ではなく私が悪い。だからして私の今するべきことは、痛いからと前の靴に戻ったり、靴をゴミ箱に入れて新しい靴を買ってきたりすることではない。騙しだまし、できるだけ長い距離をこの靴で歩き、そうして靴を私に、あるいは私を靴にならしてやることである。

 そう悟りを開いても痛いことは痛いので、しかたがないので私は考えることにした。以前、「すイエんサー」という番組で見たのだが、痛みというのは足なり手なり体の各部分が感じているのではなくて、脳が感じている。脳が他の仕事で忙しいとき、痛みは感じなくなるものであり、現に昔の中国の偉い人は碁に熱中しているうちに手術をしてもらったりして大丈夫だった。私は偉い人ではないので手術のときはちゃんと麻酔をうって欲しいと思うが、このことは他のことを考えているうちは痛みをある程度我慢できるということを示している。そして、私が今するべきことこそ、この「我慢してもっと歩く」ということなのである。

 思うに。この靴はクレイジージャックという名前であった。これは私を象徴しているような言葉だと思って私はこの靴を買ったのであったが、実はこれは「ジャッキーが痛みに狂乱する」という含みのある言葉ではなかったか。私がクレイジージャックの靴を買うというのは、つまりネコがネコイラズをネコという言葉が入っているから自分のだ、と思って食べるくらいバカなことではなかったか。もっといえばこれは「ジャッキーのクルブシ」対「クレイジージャック」という対決の構図を表わすものではなかったか。

 と歩きながら考え始めると本当に痛みのことを一瞬忘れるので、なおかつそれを携帯電話を通してネットに書き込んだりすると本当にその間は痛みを感じないので、昔の中国の人偉い、と思ったりしたが、このお互いの誇りを賭けた勝負は最終的に勝利で終わった(ジャックの)。つまり、そうやってごまかしごまかししつつ目的地に着いて見てみると、私のクルブシーがとってもクレイジーなことになっていたのである。なんというか、特に結論はないが「おそるべしクレイジージャック」というのが、今回の教訓である。


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