この季節になると、ときどき「サンタクロースは時速何キロメートル?」というような話がネット上で見られる。サンタクロースというものを「クリスマスイブの一晩の間に世界中の子供たちの家を回る存在」と定義して、この移動速度を計算したものである。おとぎ話のような仮想上の存在に物理的な計算をあてはめることによるおかしさ、おもしろさをねらったものだと思う。
結論としては、まあいずれ「サンタクロースは時速××キロメートルもの超高速度で世界を巡る必要がある」ということになると思うし、そのことによって得られる驚きは「わあすごいはやいねお父さん」という所から一歩も出ない気がするが、まあよい。せっかくのクリスマスであるしそんな黒いことは言わないことにして、ではこの計算を行うために、なにが必要か。どういうパラメータを与えられたら、誠実な数値として「サンタの速度」なるものが計算できるだろう。
一つはもちろん、サンタに与えられる時間である。子供たちにプレゼントを配るために与えられる時間ということだが、これはまず、クリスマスイブの夜ということになるだろう。厳密には地球は丸いので、
1)日付変更線の西側でもっとも日付変更線に近い都市の夜が更けてから、
2)日付変更線の東側でもっとも日付変更線に近い都市で夜が明けるまで。
という時間であるはずで、それは二四時間より少なくとも数時間は長いことになるだろうが、まあ、二四時間としてしまって、そんなに大きな問題はないだろうと思われる。このような誤差は非常に些細なことで、なぜかというともう一つ計算に必要な要素、「クリスマスプレゼントを配るために必要な移動距離」の見積もりが非常に難しいからである。
サンタクロースが、単に地球の周囲を一周すればよいのであれば、話は実に簡単である。赤道の周りをぐるっと一周。子供でも知っているその距離は約四万キロメートルだ。二四時間で四万キロメートルを移動するためには時速一七〇〇キロメートルの速度が必要である(マッハ1.5くらいだ)。なるほど、これでもかなりの速度だが、そんな計算で満足しているなら確かに世界は平和だろうし、異常気象は地球温暖化のせいではないだろうし、まんがを下ネタ禁止としておけば子供は非行に走ることなくまっすぐ育つことだろう。などとまた黒いことを書いたが、つまりこれではまったく正しい計算にはならないのだ。なぜかというと、サンタクロースがするべきことは赤道に沿って世界一周をするなどという作業ではまったくなく、それはもう「『美味しんぼ』を読む」と「おいしい料理を作る」くらい違っており、要するにサンタは「世界中の子供たちのところを巡ってプレゼントをおいてくる」という作業をせねばならないからである。
世界中の子供たちを回る、サンタの移動距離はどうなるか。四万キロよりもだいぶ大きいことは想像がつく。大きな都市だけを考えても、移動線はジグザグのたいへん入り組んだ線になっているに違いない。だいたい「大きな都市だけ」などということがすでに地方を軽視していて地方分権が叫ばれる昨今それでいいはずはないが、あらゆる市町村、人里離れた民家に住んでいる子供たちまですべて網羅した航路を、夜が更けた極東から始まり、アメリカ大陸を横断するまで続く折れ線に沿ってサンタが移動するとして、さてこの距離、四万キロよりもどれくらい大きいのだろう。
さっぱり見当がつかないので、たとえば日本を考える。ここはぜひ日本地図を頭の中において読んでいただきたいが、たとえば東京から出発して、名古屋に向かう直線を考えたとする。長さ二百キロとちょっとくらいの直線が考えられるが、ここで、リニア中央線の路線図の一案のように、途中長野県の松本に寄らなければならないとすると、必要な飛行距離はだいぶ増える。いったん北に行って、引き返してこなければならないからだ。さらに、松本のほか、伊豆と浜松にも寄らねばならないとすれば、こうなるとリニアでもなければ中央線でもないが、折れ線はさらに長くなる。ここに前橋、新潟、岐阜、静岡を付け加え、さらにほかの市町村を付け加えるに従って、サンタ線はどんどん長く、病的なものになってゆくに違いない。
ここで何かを思い出さないだろうか。直線があって、そこに折れ線を付け加え、その間にさらに折れ線を付け加えてゆく……というのはいやみなまで言うなフラクタル。そうだフラクタルである。上の説明は、書き方に助けられている面はあるとはいえ、コッホの雪片とか、シェルピンスキーガスケットとか、そういうフラクタルな図形の説明にそっくりである。ここで我ながら大胆な発想の飛躍をしてみると、もしかしてサンタ線はつまりフラクタルになるのではないか。
フラクタルというのは自己相似図形ということだから、もちろん現実の東京名古屋間のサンタ線が厳密に自己相似になるわけではない。ただ、海岸線がフラクタルである、という話と同じような意味でのフラクタルには、ある近似によってなっていると思われる。つまり、おおまかな地図で大ざっぱなスケールで測定すると短かった海岸線が、細かな地図で見て丁寧に測定するとだんだん増えてゆき、しかもそれが地図を拡大するに連れて長くなってゆく、という状態である。衛星から見た海岸線、くもじいが見た海、窓から見える海、波打ち際で見た海が、だいたい曲がり方として同程度という意味で、これもフラクタルと呼ばれる。サンタ線で考えてみると、遠くから見ているとサンタがあるマンションに入って出てゆく単純な線だが、実はマンションを詳しく見るとサンタは上の階から下の階まで子供のいる家全部をうねうねと曲がりながら通過しなければならない。実に「細かく見てゆくほど距離が増える」という状態であると言えるのではないだろうか。
などと、ごまかすようで心が痛むが、他に手がかりがないのでここは一つフラクタルに頼る。今、あるスケールlで見たときのサンタ線の長さをLとすると、その間には、おおよそ次のような関係が成り立つと思われる。
log(L)/log(l) = 一定値
なんだかログたらいうものが出てきてわけがわからなくなってきたが、要するに「細かく見てゆくほど距離が増える」ということである。たとえば、lを都市間のスケール(100キロメートル)で見たときと、市町村間のスケール(10キロメートル)で見たときでは、長さは10倍の、「ある一定数」乗になる。海岸線では1.3とかそういう値になるらしいので、これを使うことにすると、スケールが1/10に細かくなるに従い、距離のほうは20倍くらいに増える。スケールが小さくなるほど距離がみるみる増えてゆき、都市を野を海原をサンタ線が埋め尽くすことになるが、ではサンタ線は無限の長さになるのか、イブの夜世界中をサンタ線が埋め尽くすのか、というとそれも違う。まあ、家の間の距離、10メートルの精度で見たときよりも増えることはない、と考えるべきだろう。なぜならば子供はだいたい一メートルくらい身長があって、サンタとしても10ミリとか1ミリ単位の移動は必要ないからである。
計算してみる。サンタ線長さが40000キロになるのは、基準長さが10000キロメートルであるときである。今、少し細かく世界地図を見ると、地図を10倍細かく見るに連れて約20倍、サンタ線は長くなってゆく。フラクタル次元が1.3と仮定したサンタ線を、基準長さ10メートルまで順次細かくしてゆくと、6回「約20倍」すればいので、その全長は、2.5×(10の12乗)キロメートルということになる。2 500 000 000 000kmであって、2兆5千億キロメートルである。仁徳天皇陵(日本最大の前方後円墳)5兆個ぶんだ。ちっともわかりやすくならないが、サンタ時間である24時間で割ると、秒速29 210 988kmとなる。2900万キロメートルということになる。
さあ困った。これは正直言って光速よりも速い。光速は秒速30万キロメートルなのであって、その約百倍もあるのだ。光の速度よりも速い存在は、あたりまえだがないので、身も蓋もないことを言えばこれは「サンタは存在しない」という証明であるとの見方もできると思う。もっとも、サンタを百人動員すれば問題はぱかんと解決するし、そういう考え方のほうが実際に即してはいるが。
などと、今いいかげんなごまかし方をした。大人はこれだから嫌いなのだが、自分で書いていて悲しくなってくるものの、まあ、それもこれもフラクタルと、そこに潜む「ログ」たらいうものに頼ったせいであるとも言える。フラクタルとログを使った計算なんかやめておいて、適当に「移動距離? 十億キロくらいですかね?」みたいなことを言っておけばよかったのだが、あえて自己弁護すれば、これはまったくしかたのないことである。なにしろ昔から、クリスマスにはログがつきものだからだ。本当にクリスマスと言えばログなのだが、見たことはないだろうか。西洋ではこのログのことを「ブッシュドノエル」と呼んでいるらしい。