「超ひも理論」とは何か。そりゃひも理論という位だからヒモに関する理論だろう、それに超がつくんだから超ひもって感じなんだろうと思った時が私にもあったが、要するに素粒子をぐいぐい拡大してゆくと、それは実は点ではなくてヒモなんですよ、そう考えてはいかがですかという理論である。この超ひもは、粒子を非常に小さいワッカとして扱うので、普通そうするように点だと考えた場合に出てくるいろんな不具合、たとえば無限の密度を持つとか、無限の力で引き合ったり反発するとか、そういうことから理論を救い出してくれる。そんなこと言ったってワッカなんて見あたらないじゃないかと言われたらそうなのだが、ワッカはちょっと遠くから見たら点に見えるので問題ないのである。
と、たぶんそういう理解で合っていると思うのだが、この「点をワッカで置き換える」という理論を、実感できるのがロータリーである。ご存知だろうかロータリー。実はこのたび、お正月にフランスに旅行してきたのだが、私はぜんぜん知らなかった。いや「あっちのほうにはロータリーがよくある」くらいの知識はあった。確か凱旋門のところが大きなロータリーになっていて慣れないとどえらい目にあうとか、そういうのは読んだ事があった。しかしいざフランスに行って、田舎道を自動車でドライブする、ということになって、初めてわかったのである。「ロータリーがあるらしい」どころの話ではないと。私が行ったパリとその近郊の狭い範囲の話になるが、むしろ「普通の交差点もある」というくらいの話であると。
とにかくロータリー、道が出会うところにロータリーなのだった。いや知らない人もいるかもしれない。あまり先走らずちゃんと説明すると、ロータリーとは、ふつう交差点があるところに設けられた丸い道路である。最初に超ひもの話をしたが、グーグルマップかなにかでフランス辺りの地図を見てみるといいと思う。地図を見て、大きな道と道の交差点をみつける。どこから見ても普通の交差点だが、これを子細に見る。グーグルマップの場合は、マウスのぐりぐりを廻してちょっとずつ地図を拡大してゆくわけだが、交差点周辺がどんどん拡大されてゆくと、ある瞬間から、その交差点の微細構造が見える。何かというと、交差点に小さなワッカがあって、実は周囲の道路はそのワッカにつながっていることが発見されるのである。
交差「点」ではないのだ。中央には「ワッカ」道路がある。ワッカと、そこから放射線状に出てゆく道路があって、それがフランスでは「は、交差点とは何でございますか」という顔をして存在しているわけである。周囲の道からやって来た自動車は、まずこの丸い道路に入る。しかるがのち、このワッカをしばらく回る。回っているうちに、行きたい方向の道路が見えてくる。そうしたらワッカから外の道路に出る。こうして自動車は行きたい方向に行けるという、そういうシステムである。
いやなんだこれ、ぜったいこんなの効率的じゃないよと、実体験として私は思った。もしもこれが効率的だったら私はそうよフランスのプリンセスだわ、と思ったけれども、現にフランスにはあっちゃこっちゃこれがあるのだ。たぶん、町なかで物理的にスペースがないとか、橋のたもとでロータリーを設けると川にはみ出すとか、そういう場合をのぞき、いやしくも道とみちとが交わるところにはすべてロータリーがあるのではないかと思われる。それは言い過ぎだが、日本において「信号付きの交差点」になる箇所で、しかも周囲にスペースがある場合、だいたいロータリーになっている感じである。
ロータリーに接近すると、ドライバーにはクエスチョンマーク(?)のような形をした標識が見える。?が描かれた標識があって、この?の頭上に後光が差したような絵になるのだが、何かというと、このロータリーのどこから出たらどこに向かうかを示した交通案内であって、日本でもよくある青い看板に書いてあるあれである。なぜ?なのか、♀の横棒がない感じになるのではないかと普通は思うわけだが、よく考えたらわかった。ミスなく通行した場合、どんな人もロータリーを一周以上はしない。一周するのは「来た道を引き返す」場合だが、それもミスの一種なので、完全に一周する人はいないのであり、だから?でいいのである。もっとも、わかると思うが、いったんロータリーに入ったら何番目の出口からどこに出るのかという見当識は一瞬で消滅するので、ロータリーから外に出るところには、また別に「ここから出たらどこ方面」という標識があって、それを見て外に出る。じゃあ?の看板は要らないだろうと思うが、まあ存在している。
まったくこのロータリー、右側通行であることをのぞき、日本のドライバーがもっとも悩む、もっともかわった設備であることは間違いない。いつかどこか忘れたなにかで聞いたところによると、そもそもこれはむかし馬車が使うために作られたものであって、馬車は自動車と違って停止するということが超ニガテであり、だから交差点があっても止まれない。だから一旦停止せずに済むように入って来た馬車がぐるぐるぐるぐるロータリーを回ったらいいようにできているのである。ははあ、それはよろしいな、ぐるぐるぐるぐ回れていいですなと思うわけだが、よく考えたらそれは、このモータリゼーションの時代にロータリーが残っている理由にはならないではないか。馬車から自動車にかわったあたりで全廃したらよかったではないか場所ばっかり喰うこんなもの。きいい騙された。
そんなことはないが、さてこのロータリー、ロータリーに入ってくる車と、現にロータリーを通行している車、どちらが優先だと思われるだろうか。当たり前だが信号はない。信号がないので、車は周囲を見てロータリーに入るかどうかを決めることになるが、さてこの場合、道をゆずるのは、すでにロータリーを走っている車か、そこを新たに入ってくる車か。日本的な感覚では、どちらかといえば「ロータリーがすくまで待って入りましょう」という感じではないかと思われるが、実は正解は、
「場所による(ががーん)」
であるらしい。本当に場所によって、入ってくる車優先の場合があるらしいのである。そんなことあってたまるか、そんないい加減じゃ事故だらけじゃん、と思うが本当なのでしかたがない。だいたい田舎では「ロータリー内車優先」で、逆に都会では「ロータリーに入ってくる車優先」であることが多いらしい。自分のところが優先でない場合道路に赤い三角の標識があって、これでわかるようになっているのだがそんなシステムがまともに働くはずがない。現に凱旋門のまわりにある世界最大のロータリー(知らないけどたぶんそうだ)の周りではあっちに行きたい車と回っていたい車とがぱっぱらぷっぷかクラクションを鳴らし合う実にのどかな風景が見られた。そうですなこれでよろしいとお思いであればずっとこのようにされたらいかがでしょうかと思ったが、渋谷のハチ公のスクランブル交差点のところは日本でも似たような感じかもしれない。たぶんそうだ。
とまあ、そんな感じだったわけだが、実際のところ、ロータリーと交差点のどっちがいいかは、本当によくわからなかった。本当に便利だったら日本でももっと普及しているはずで、そうでない以上やっぱり「昔からあるから今もある」という類のものではないかという気がするが、フランス人もそう思っているかもしれない。つまり「本当に交差点のほうがよかったら今頃フランス全土で交差点が採用されているはずだ」と。それも一理あると思うのである。