ガードナーに挑む このエントリーを含むはてなブックマーク

 まずひとこと断っておきたいのだが、このタイトル(ガードナーに挑む)は、私がぽこぽこ書いている「大西科学における最近の研究内容」たらいう雑文がマーチン・ガードナーの数学エッセイに挑むということを意味してはいない。それどころかあっちとこっちを比べるのは、私が撮影したホームビデオを「『スターウォーズ』に比べて駄作」と批判するようなものであって、本当にやめてください第一恥ずかしいです。

 というわけで本題だが「別冊日経サイエンス マーチン・ガードナーの数学ゲームI(新装版)」である。どうも私、物心ついて以来これを何回か買っている気がするのだが、今回も買ったのだ。だいたい十年に一回の割合で買うと、買うごとに忘れているし前のもどこに行ったかわからなくなっているので、コストパフォーマンスとしても不足はない。たぶん今後II以降も出ると思うので、やっぱりそれも買うのではないかと思うが、読むとものすごくよく寝られるのでお勧めしたい。

 さてこの中。第17話として「スマリヤンの『この本の題は何か?』」というタイトルの話がある。これはスマリヤン(人名)の『この本の題は何か?』(本のタイトル名)という論理パズルの本の紹介である。本のタイトルのせいでやけにややこしいことになっているが、その紹介として、こういうパズルが載っている。たぶん『この本の題は何か?』という本の中に出てくるパズルをもってきたということだと思うが、だから私がこれをここに載せると「孫引き」ということになるのだが、以下のようなパズルである。

 店から大量の品物が盗まれた。犯人(または犯人たち)は強盗を働いたのちに自動車で逃げた。常習犯として知られるA,B,Cの3人が尋問のために連れてこられ、次の事実が確かめられた。
(1)この事件にA,B,Cの3人以外の者は関与していない。
(2)CはA(または他の者)と一緒でなければ決して仕事をしない。
(3)Bは自動車を運転できない。
 Aは有罪か無罪か。

 まあ、今となってはよくあるところの、比較的簡単な論理パズルと言えると思うが、と書いて急に不安になったが、いいではないかホームビデオでスターウォーズの真似をしたって。ええととにかく、私はこれを読んで、しばらく考えて、悩んで、あれ答えが出ないぞ、と思った。もう一回考え直してみた。やっぱり答えが出ない。

 そもそも(1)のヒントから、すべてのありうる犯人の組み合わせはこうなる。

i)A,B,C(全員でやった)
ii)A,B
iii)A,C
iv)B,C
v)A(単独犯)
vi)B(単独犯)
vii)C(単独犯)

このどれかであり、真実はこの七通り、i)からvii)のどれか一つだが、問題としてはAが犯人かどうかなので、特に真実を突き止める必要はない。で、まずは事実(3)から、vi)のB単独犯という可能性が消える。それから事実(2)を使うと、Cは他の者と一緒でないと「仕事」をしないのだから、vii)のC単独犯という可能性も消える。従って残る可能性としては、

i)A,B,C
ii)A,B
iii)A,C
iv)B,C
v)A

 のどれかであると言える。問題はAの有罪無罪を訊ねるものだが、さあどうしたことか、この残った五つの可能性の中には、Aが入っているものと、Aが入っていないものの両方がある。具体的にはivの可能性が残るわけなので、Aは有罪とも無罪とも言い切れない。いや、そんな馬鹿な。

 馬鹿な、と思って私は答えを見た。スマリヤンの本の中にあるパズルだから答えはスマリヤンの本を読まないと書いてない……わけではなくて、この「数学ゲーム」の本の巻末にちゃんと答えが書いてあるのだが、でもってそういうことをしてもいいのかガードナー、とちょっと思ったが、答えとしてはこうである。

 もしもBが無罪ならば、(事実1により)AかC,またはその両方が有罪だ。もしBが有罪なら、彼は自動車を運転できないから、誰かと一緒でなければならない。したがってこのときもまたAかC,またはその両方ともが有罪である。もしCが無罪ならAが有罪であり、Cが有罪ならば(事実2によって)Aも有罪である。結局、Aは有罪だ。

 どういうことかしらん、と私は思った。なんかこう、一読すると難解で、考えていると眠くなってくる。これは、よくある「仮に脳が筋肉だとしたら『明日は筋肉痛になるのではないか』と思うくらい頭を使った」とか「夜が更け、徹夜寸前であり、まったくもって眠気が襲ってくる位の長時間にわたって考えた」というような比喩で言っているのではなく、私の場合論理パズルを考えていると本当に眠気が襲ってくるのだが、昔はそうでなかった気がするので、どうも頭の中の配線がいつからかそうなったに違いない。パブロフの犬的な何かだ。

 しかし理性が寝ようと決断しなければ実際には寝たりしないのでどうかお医者様に相談しないで欲しいのだが、要するに考えて、わかった。事実(2)を勘違いしていたのだ。

(2)CはA(または他の者)と一緒でなければ決して仕事をしない。

 というのは私が考えたように「CはAとか、まあなんかそういった他の者と一緒でなければ仕事をしない」ではなく、「CはAと一緒でなければ決して仕事をしない。ただし、AのほかにBがいるのはかまわない」ということなのだ。つまり「A(または他の者)」のところ。これは「AまたはAを含む他者」と解釈するべきだったのである。ああああああ、しかし、ああああああ。わからないよこの問題文じゃあガードナァァァァァッ。

 しかしだ。「わからないよこの問題文じゃあガードナァァァァァッ」と言っている場合なんかでは、ないのではないか。

 問題は文章だ。訳文の問題かもしれないが、A(または他の者)で「AまたはAを含む他者」と理解させるというのは、文章表現として、とうてい納得できない。納得できないけれども、絶対にありえないかというと、そこまでのことはない気もする。というよりも、仮に読者が上の問題を考えて、なんだか答えが出なかったとして、もうどう考えても答えが出ないとして、そこで探偵がいきなり読者のほうを見て一言、
「さて実はこれで問題は解けます。問題文のどこがおかしいのでしょう?」
 と問うたとすれば、まず疑ってみるべきはこの「A(または他の者)」である。というより、問題の他の部分は端的すぎて疑う余地がない。「A(または他の者)」にあたって、「はいはい、Aか、またはほかの人だよね」と勝手に解釈しておいて「おかしいなあ答え出ないよなあコレ」と思ってしまうこと自体、ずいぶんな態度と言えるのではないか。そして、疑いの目で見さえすれば、この「A(または他の者)」が「AまたはAを含む他者」という意味だと出題の意図通り解釈するのは、まあ、そんなに難しいことでもない気がする。

 従って問題は、ちょっと考えて答えが出ないからといって簡単に答えを見てしまう、私の怠惰さにあるのだと思う。せっかくお小遣いを出して買った本だもの、何回もなんかいもしつこいくらいに考えて、あらゆる可能性にあたってから、答えを見てもいいようなものである。そして、他にもいろいろあるがまずはその点こそが、私のホームビデオとスターウォーズを分ける「何か」ではないかと思うのである。いわんやガードナーをや。


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