「おれおれ詐欺」あるいは「振り込め詐欺」というのはいつまで経ってもなくならない。最近はもう、バスに乗っても「振り込め詐欺に気をつけよう」というポスターが貼ってあり、街を歩くと「振り込め詐欺に気をつけよう」と書かれたノボリが立っており、駅に着くと「振り込め詐欺に気をつけよう」というティッシュをもらうくらいであり、いやなんだか同じ事をあちこちで聞くだけのようだが、とにかくとてもがんばって宣伝をしている。これだけ気をつけろ気をつけろと書いてあるのだから、普通もうちょっとみんな気をつけて、そろそろなくなってもいい頃である。
ところがなくならない。一つには、騙す方が全力をかけて、演技に磨きをかけ、システムを洗練させ、時事をすばやく取り入れた新しいシナリオを導入するなどして、より高度で複雑なものに進化しているせいではないかと思うものの、そして、いざ自分に小説の一場面のような状況が降り掛かったときにはそうそううまくは対応できないものだ、という事情はあると思うものの、さらにもう一つ、やはり「ヒトの言うことなど聞いてない層」というものが一定数あるからではないか、という気がする。
これは恐ろしいことである気がするが「ヒトの言うことなど聞いていない層」は確かに存在する。特に先日の地上アナログ波放送が終了した際などに明らかになったが、なぜか、どうしてなのか、横から見ているとまったく不可解だが奇妙にもむしろ器用にも「◯日までに◯◯してください」「あと◯日ですどうかお願いします」「お願いですから注目してください」「わからなかったら電話をください相談は無料です」などといったあらゆる要請をケロっと無視する人はいるのだ。あれだけ終了する終了すると繰り返ししつこく言われていたのに、そしてお金を使いたくないなら使いたくないなりに、いかようにも対策の方法はあったにもかかわらず(そしてテレビが必要であるにもかかわらず)、いよいよどうにかなるまで自分からはなにもしない人というのは、やはりいるのである。もちろん、地デジなぞはまあどうにかなると言ってもテレビが見られなくなるくらいのことだが、振り込め詐欺の場合はどうにかなった結果老後の蓄えを失うことになるので、たいへん不幸なことである。巷間言われている警告が、自分に対するものではない、と思ってしまうこと(たいていの場合実はこれは正しい)が原因ではないかと思う。
もうそういう人々は救いようがないのであるから、まただまし取られるのは本人のお金なのであるから、なにも税金をつかって啓蒙などする必要はなく、放っておけばよいのだ、というようなドライな考え方もあるかと思う。だいたい理系の人がちょっと考えたらたいていこっちの結論になるような気がしてこれは理系と分類される人々のとてもよくない部分であるが、まあ、普通はそうは割り切れないものである。蓄えを失った人が生活保護のような社会保障に頼るようになり、それは他の市民の負担になってしまう、というような現実的な理由もあるにはあるが、やはり悪が栄える世の中は好ましくないし、自分やその身内に降り掛かってくることもあり得るのである。やはり断固として振り込め詐欺は撲滅しなければならない。
どうするか。一つ考えついたこととして「全財産寄付システム」というものがある。別のところに書いたものの引用だが、こういうものである。
いま、鉄道の切符自動販売機や、飛行機のマイル記録装置や、新型スマートフォンや、大手オンライン図書販売会社のウェブサイトに、
「全財産を寄付する」
というボタンを設けておきます。これは、はっきりそう書いておくのですが、
「全財産を寄付する」
というボタンがあるわけです。「120」「150」「170」といったボタンに並んで「全財産を寄付する」です。「全財産を義援金として贈る」でも構いません。もちろん、普通の人は押したりしません。だって押すと全財産が寄付されてしまうからですが、仮に、もし、間違って、これを押したりすると、
「全財産を寄付する契約書」
という文章が画面に出てきて、その一番下に、
「了解して次へ」
と書かれたボタンがあります。いきなり寄付するということにはならないわけですが、さらに、どうしてか、これを押したとします。押して次に進むと、もう一度、
「本当に全財産を寄付します。いいですか?」
と確認が出てきます。親切ですね。親切です。なにしろ全財産ですから。で、ここでまあ、あまりいないと思いますが、「いいです」というボタンを押したとします。押したとして、押したとすると、どうなるか。全財産が国庫に入ります。
こういうのを作ったとして、こんなシステムで全財産を寄付する人はまったくいないと言えるでしょうか。私はいると思います。ゼロではないと思います。なんか心が弱っていたり眠かったり泥酔していたりものすごく急いでいたりして、あるいは言葉がよくわからなかったり読解力が足りなかったりして、へんな操作をしてしまうことは実際あるからです。何千万人が何十万回も使うシステムにこのボタンを置いておくと、絶対何人かは押します。でもって、システムを据えるコストはたいしたことないので、このシステムを作れば、実は国は丸儲けになります。なにしろ三回も押して強い意思をもって全財産を寄付するのですから、これを受けるのが国家としての役割ではないでしょうか。
だとすれば、このボタンを一刻も早くすえつけない国はどうかしている、ということになりますが、どうですか。
まさかこんなボタンを押す人はいないのではないか、またいたとしても、このようなボタンによる契約によって本当に全財産を寄付させるのは現実問題として不可能ではないか、とは私も思う。思うのだが、こうした「国家がしかける詐欺」によって全財産を巻き上げるというのは、逆説的だが、より大きな被害から国民を守るという意味で、一定の効果があるのではないかと思える。
たとえば自治体の職員が市内の住民に電話をかける。市内の一人暮らしのお年寄りの名簿など、探せば市役所のどこかにあると思われるので、それを使う。また住民票や戸籍といった情報も持っているはずであるので、これを使ってよりリアルな電話をかけることができるだろう。
「おれおれ。おばあちゃん、元気?」
じゃなくて、
「やあ、キヨシだけど、最近姉さんから電話あった? いや、おれのところには何も。なにしてるんだろうね姉さん。うん、おれのほうも仕事はそこそこ忙しいよ。マリも元気に小学校行ってる。でさ、実は小学校のときのゼンソクがぶり返しちゃったみたいでさ、いや嘘、風邪だと思う。とにかく声がおかしいんだけど」
みたいな芝居が、実にナチュラルにできるようになる。自治体同士が連携して税金の記録などを調べることで、キヨシの勤め先や年収、持ち家かどうかなどかなりの情報が得られ、これも芝居をよりリアルなものにできる。これでもって、
「実は言いにくいんだけど、マリのことで急にお金が必要になっちゃってさ。いや、貯金はあるんだけど、財形貯蓄だからすぐには使えないんだ」
みたいなことを言ったとしたら、騙される人はかなりいるのではないだろうか。実は地方ごとに細かな方言の違いがあって、たとえば私が親と話す言葉(播州弁と呼ばれる関西弁の一種)を、東京生まれの詐欺師が真似をするのはほぼ不可能だと思うが、これはなにしろ自治体がやっている。地元生まれの自治体職員をアクターアクトレスとして採用できるのである。かなりリアルなものにできるのではないか。なんなら地元の駐在所にいる警官や、自治体の窓口の人をエキストラに使ってもよい。こんなリアルな振り込め詐欺はない。だいたいこの手の事柄で民間と公務員が競争して「公」が勝つことはめったにないわけだが、今回は自治体側に相当のアドバンテージがあるわけである。強力な競争相手ができた振り込め詐欺は、ついに撲滅されるのではないだろうか。
一方自治体だが、そうして騙して、お年寄りから全財産を自治体が巻き上げて、どうするのか。どうもしないのである。蓄えを失ったこのお年寄りは、財源を得た自治体が手厚いサポートを行なうことができるので生活で困ることはない。なによりも、これが重要なことだが、一度全財産を奪われた人間は、二度と奪われることがないのである(なぜかというと、全財産というのは一つしかないからだ)。一方、こんなものには決して騙されない人もいるに違いなく、そういう人は本当の詐欺にだって騙されないわけなので、特に問題はない。
どうだろう。特に問題はないように思える。「自治体が法を犯していいのか」というもっともな疑念もあるかとおもうが、やるのは自治体あるいは国なのであって、必要ならばそのための法律を作ればよいのだから特に大きな問題にはならない気もする。むしろ、この財政難の折、こうしたシステムを設けるのが国家としての役割ではないだろうか。いやそんなことないという気がしてきたし、いかにも理系の人があんまりよく考えもしないで口にするタイプの妄想というか、前世紀のショートショートみたいな感じがしてこんなことが実現するはずがないとも思えるが、まあ、それを言えば地デジへの移行といい、振り込め詐欺というシステムといい、どこか現実世界のものとして実現するはずがない小説みたいな話に思えるのである。果たしてそのような大胆な移行なり詐欺が、現実に存在するとでも言うのだろうか。