県民の日に思う

 茨城県に住んでもうすぐ13年になる。13年というと、私が大学時代、大阪にいた時期よりもすでに長く、もうあと数年で「もっとも長く住んだ場所」ということになってしまう。「なってしまう」というのはずいぶんな言葉だと思うが、どうも、少なくとも最初の心構えとしては、こんなつもりではなかったような気がするからである。縁もゆかりもないこの土地には、たぶん数年住んでまたよそにうつるのではないかと、なんとなく思っていた。それがもう13年で、これからもしばらくはここに住む。人生はそんなものかもしれないと思う。

 というわけで、私は茨城に愛着もなにもないのだが、そしてたぶん「県が私にしてくれたこと」と「私が県にしたこと(税金納付とか)」を比べると、後者のほうが少し上まわっているのではないかと思うのだが、ここで生まれ育って小中学生になっている子供たちに関しては少し事情が違う。かれらにとっては父母がいて自分の家があるここが故郷であり、私にとっての兵庫県に近い意味をすでに持つようになっている。こういうことがあるので、私は茨城にはそういう間接的な意味で、なんらかの屈折した執着心を持つに至っているように思う。断じて「好き」ではない。「恩返しをしたい」というのもちょっと違う。ただ「なにやってんだよしょうがないなしっかりしろよまったくよう」みたいな気持ちに近い。他では以前、阪神タイガースに似たような気持ちを抱いていた。

 さてここで「地域ブランド調査」である。ご存じだろうか。主として「茨城県がまた最下位」という文脈で毎年ある程度の話題になるランキングのことである。「ブランド総研」というところが毎年発表していて、全国四七の都道府県を、ブランド力を基準にして算出したらしい「魅力度」の順に並べて発表している。これが、茨城県がよくない。だいたいにおいて最下位周辺をうろうろしていて、去年(2013年)も最下位だったが今年(2014年)も最下位だった。なんでも二回連続五回目の最下位であるとか聞いた。たいへんなことだ。狙っても取れるようなものではない。

 そもそも、指摘するほどのことではないが「魅力」というのは抽象的な概念である。A君は学校の成績がよく、授業中の発言も多いが運動ではふるわない。B君は、勉強は少し苦手で宿題を忘れることも多いが、足が速く、短距離走では誰にも負けない。このA君とB君のどちらが「優れている」かというのは評価不可能であり、普通やられているのは「算数のテストの点数」「五〇メートル走のタイム」などという基準を設けて、それぞれで順位をつける程度のことである。

 もしも、どうしてもこの二人に優劣をつけたい、何かの単一の指標で順位化したいとなったらどうするか。この二つや他のいろんな順位を得点化し、重み付けをして足し合わせ計算することはできるが、それには無数のやりかたがあり、こうでなければならないという誰もが同意できる規則が作れそうには思えない。「子供は元気であるべき」とか「算数をさぼらずやっていると将来の年収が高くなる」といった主観がどうしても入ってきて、つくりあげた「魅力度」はそうしたランキング制作者の裁量によるところの大きい「オレランキング」にならざるを得ないだろう。

 であれば、この手の主観的数値は、仮に算出したとしても発表するべきではないと言える。「魅力度一位」のような、選ばれた県にプラスの影響をもたらすようなものであればまだよい。信頼度の低い、主観的な評価であるとしても、ほめられて悪い気はしないし、観光需要を喚起するという現実の効果も期待できるからである。問題はなぜこのようなものを、ご丁寧に最下位まで順序づけて公表するのかということだ。

 なんらかの手段によってクラスの人気投票をしたとして、それを最下位まで順序付け、壁に貼りだして発表するというのは、許容される行為だろうか。さっきも書いたように「魅力」というものは、株価や景気に似て「誰かが魅力的だと言っていたから魅力的だ」という、再帰的な面がある。つまり「魅力的でない」と主張することは相手に実害を与える行為なのであって、あえてこれをやりたいと考えるのであれば、少なくとも、魅力度とやらが単なる「オレ基準」ではないこと、算出法を公開し、誰でも同じ計算を行って同じ結果が得られるような客観性を確保しなければならない。それでもやっぱり問題はあると思うが、客観的指標による機械的計算の結果としてであれば、まだ納得できるからである。

「オレ基準」なのだから、当然異論がある。もう九年もやっているらしいので、そのあたりのことは十分承知していて、それでもやっているのだろうが、おそらくは一種の炎上商法なのであろうと思う。どのような文脈でも話題になることは経営上プラスに働くといった、計算があってのことではないだろうか。それなりの仕事量の結果を無料で公表するのであるから、無難な、すぐに忘れ去られるような発表を行っても意味がない。末永く引用され、社名を広報してもらえるようなものであるほど望ましく、それには極論として、異論があるほどよい。人は無言で同意し、声高に反論するからである。

 これは邪推かもしれないが、最下位に設定するにあたって、茨城県のような存在がぴったりであることは指摘しておくべきかと思う。誰かを侮辱しなければならないとして、その相手としては、経済的基盤が脆弱で、あるいは風評被害によって本当に県民の生活が脅かされるような県を選ぶのは得策ではない。そうすると完全に「悪者」の位置に自社をおとしめることになるからである。叩きやすさを考えると、国ならアメリカや日本、都道府県なら東京や大阪が選ばれるものと思うが、かといってこの場合「東京が魅力度最下位」では誰も納得しないのも確かである。そうした配慮の落としどころとして、叩きやすい県を叩けるような数字をうまく工夫していたとしても、我々にはわからない。

 そういえば、すこし前、「ダサイタマ」などと言われて埼玉が馬鹿にされていたことがあるが、あれも同じではないだろうか。埼玉は客観的に見て首都圏を構成する「強い県」であり、心置きなく叩くことができるからだ。本当に弱い県にあれをやると、シャレにならないからである。茨城県や埼玉県に対して、甘えているということもできる。

 さらに言えば、魅力度というのは「寿命」や「小中学生の成績」のような、努力によって改善できる数値ではない。本質的に自分の魅力を主張によって改善することはできないからで、やったとしても、それは「医療を改善する」「教育を改善する」のような実のあるものにはならない。実は、よせばいいのに茨城県はこの地域ブランドを気にして、いくつか芸能人を起用したキャンペーンを実施したりした。びっくりしたし、ちょっと面白かったが、しかし、血税の一部が(他の、県民に利益をもたらず事業ではなく)このような虚宣伝に使われていると考えると、実際に県民に実害が発生していると言うこともできる。私はあのような宣伝を行うべきではなかったと思う。このようなものは、無視し、話題に上らせることなく、消え去るようにしむけるのがもっともよい。

 もしも腹の虫が収まらない、侮辱に対して受けて立つ必要があるというのであれば、「全国総合研究所ランキング」を茨城県が毎年調査し、発表したらどうだろうか。全国の総合研究所、産業技術総合研究所とか、野村総研とか、ほかにもいろいろあると思うが、総合研究所の名を持つ各種団体に関するさまざまな指標を魔女の大釜に入れてぐつぐつ煮込んで算出した「信頼度」という謎数値によってランキングし、「ブランド総研」の順位を発表する。そして「茨城県が発表した全国総合研究所信頼度ランキングにおいて十年連続最下位を記録しているブランド総研が」という枕詞をつけて報道するとよい。そして県知事がインタビューを受けて「イメージの形成ができていない」とか「社員の愛着度が上がればランキングが上がる可能性があるのではないか」などと上からものを言ってやればいいのだ。

 くだらないランキングにはくだらない対応でよい。それが私が茨城県について、思うところである。


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