十八回目の転生ともなると、「最初の世界」に関するおれの記憶もだんだんと薄らぎ始めていたのかもしれない。だから通りの向こうからやってきたみすぼらしい男が、自分自身なのだと、はじめ、おれはなかなか気がつかなかった。
最初の世界。その記憶だけは忘れてはいけなかったのだが。そこにはおれの親がいて、おれの通った小学校や中学校があり、友人や先生たちがいる。勉強もスポーツも、何一つ目立てる分野などなかったおれだが、それなりに親切にしてもらった人々のことは、忘れてはいけないような気がする。家族や、友達のこと。教科書や常識や科学のこと。青信号を渡ったはずなのにこちらに向かって突っ込んでくるトラックの、太陽を反射して輝くバンパーと、フロントガラスの向こうでひきつったような運転手の顔、おれの記憶がそこで断ち切られるまでは、それなりに親切にしてもらった気がする、フェアで確固とした、最初の世界のことを。
それからは繰り返しだ。
おれは、歩いてくる男に感じた違和感をそのまま、辺りを見回した。広がっているのはいつもの「RPGの世界」だ。中世のヨーロッパのような、でもそうでもないような、石造りの街並み。遠くに見える領主の城と、なだらかな緑の山並み。その向こうに見えるのは巨大な活火山で、こうしている今も、もくもくと煙を吐き出していて、のどかな景色に緊張感を付け加えている。街道を行き交う旅人たちは疲れ切っていて、何かにおびえているようにも見える。ときおり極端に背の低い旅人がいるのは、あれはドワーフか、ホビットか。
風景には異常はない。いつもの、おれが「RPGの世界」と呼んでいる世界だ。では今の「能力」は、と考えて、たぶんおれは、すこしげんなりした顔をしたと思う。いつもたいしたことない能力ばかりだが、今回はひどい。「手からおにぎりが現れる能力」だ。なぜおにぎりなのか。RPGではなかったのか。世界観くらい統一したらどうかと思うが、おにぎりである。今回の世界では飢えない、というのは救いではあったが。
そう、そのときは十八回目だったので、おれはこの世界の「ルール」というものを、すっかり飲み込んでいると思い込んでいた。おれが何かで生命の危機を迎えるとする。最初の世界でトラックにはねられたときがそうだった。そうすると、おれは転生している。この「RPGの世界」に現れ、無傷で立っている。転生と言っていいものかどうか、とにかくこの世界の、近隣で一番大きな城下町の、どこかに立っている。そうして、不思議なことだが、何か一つ、特別な能力を授かっているのだ。
この世界で何をすればよいのか、わからなかった最初のほうは悲惨だった。最初の世界の常識が通用しない、ファンタジーっぽい(あくまで「っぽい」)世界である。転生したおれにはお金はない。武器もない。街の外にはモンスターがいる。追いはぎというか、山賊というか、そういうアウトローもぞろぞろいて、容赦なく襲ってくる。襲われるとどうなるかというと、痛いいたいことになって死ぬ。RPGっぽい世界だが、食べ物がないと、やっぱり腹がぺこぺこになって、動けなくなって死ぬ。夜になるとそれなりに寒くなるので、お金がないからと簡単に外で寝たら凍えて死ぬ。意外な事実として、スマホがないRPGの世界では、人はごく簡単に道に迷う。迷ったらどうなるかというと、街に帰れなくなって死ぬ。
そうするとどうなるか。元に戻っているのである。世界設定は細かいところが違っていても、おおまかにはだいたい同じで、ただおれの持っている能力が微妙に違う。「手から雷を出す」とか「手から炎を出す」とか「手から何かを出す」あたりに共通項がありそうだが、その範囲で、前回と微妙に異なっている。
「もしかして、おれはこの世界を救うことを期待されているのではないか」と気づいたのは、七回目か八回目のことだったと思う。いくらなんでも、手から何かを出したり草の根を煮て食べたりオオカミから逃げ回るために生きているのではないだろう。何かの使命があって、おれはここにこうしているはずだ。おれはなんとか生き延びたり、生き延びられなかったりしながら、情報を集めた。能力を生かしてなんとか金儲けをし、宿屋のおばさんと仲良くなったり、武器屋に通って訪れる旅人から話を聞いたり、不衛生な酒場らしきところで不衛生な飲み物を飲みながら聞き耳を立てたりした。一度だけ、うまいこと城に招かれて偉い人に話を聞いたこともある。それによれば、どうもこの世界を脅かす、魔王的な存在がいるらしい。それを倒すのがおれの役目なのではないだろうか。こうしてチート能力を手に入れているのは、つまりそのためではないのか。
「おれ……か?」
おにぎりのことを考えていたので、そう声をかけられておれはすこしびっくりした。その男は、おれの顔をじっと見て、
「おれだ! やっぱりおれだ! 助かった!」
と叫ぶと、おれの肩をつかんだ。おれはそのときになってやっと気づいたと思う。確かにその顔、しばらく見ていなかったような気がするその顔は、最初の世界で鏡の向こうにいつもいた、おれの顔だった。
「どうだ、景気いいか? 何か食べ物、持ってないか?」
呆然としているおれに、その男はそう卑屈に笑った。
それがおれだとは、ちょっと信じられなかったくらいに。
それが聞いてみると悲惨な話だった。
おれとその男(おれ2)は、広場の端の地面に座って、話をした。おれの出すおにぎりをうまそうに、むさぼるように食べた「おれ2」は、驚くべきことに、やはりおれだった。「最初の世界」で生まれて、勉強して、トラックにはねられて、この世界にやってきたのだ。しかし、そこからが違っていた。おれ2が持っていた能力は「指先が緑に光る能力」だった。光るだけで、特に傷を癒すとかそういう追加パワーはなかったらしい。どうしようもなくて、おれ2はたちまち追い詰められ、転生する(隠喩)。次の能力は「指先が青に光る能力」で、何度転生しても、使える感じにはならなかったらしい。
「いいか、おれたちは分岐している」
おれ2は、どこか遠く、例の活火山のほうをぼんやり眺めながら、そう言った。
「おまえがおれに会うのは初めてか? おれがおれに会うのは、初めてじゃない」
おれ2は視線を広場に落として、弱々しく首を振る。
「おれは何度もおれに会った。たいていはみすぼらしいやつだ。能力が『にらんでいると小さな穴が開く』とか」
それは指先が緑に光るよりはマシなのではないかとおれは思ったが、何も言わずに、もうひとつおにぎりを出した。
「そのうち、おれは『おれ』に会った。なんていうかな。おまえも『おれ』なんだけど、おまえよりももう少し『おれ』なやつだ。つまり、転生の何回目かまで『おれ』だったやつなんだ」
おれ2が新しいおにぎりを腹に詰め込んでいる間に、おれはいまのおれ2の言葉を考えた。
転生の、何回目かまで? 分岐している?
「おれたちが転生するときに、おれたちはたくさんのおれに、分岐するらしい。少しつづ能力が違う、たくさんのおれだ。それがそれぞれ、よく似た違う世界に配置される。たまにこうして、一緒の世界になることもあるが」
おれ2は、もうひとつちょうだい、というようにおれに手を伸ばして、こう言った。
「この世界は、おれたちに何をさせようとしているんだろうな? なあ、それって魔王を倒すなんてことでは、ないみたいだ」
それからおれも何度もしくじって、何度も転生した。たまによい能力を引き当てたり、幸運に恵まれたりして、冒険を続けることがあるが、どこかで失敗してやりなおしになったりする。能力が使えないものだったりすると、短い期間に何度も転生するはめになる。そして、注意して見るようになったからか、それからも、たまに「おれ」に会うことがあるのだ。その頻度はすこしずつ増えているようにも思う。
おれ2の言ったことを、おれはよく考える。どこかの世界には、ものすごいチート能力を授かったおれが、たちまち魔王を倒し、この世界の王になったりとかして、たくさんの女の子に囲まれて、ぜいたくに暮らしているのだろうか。そんなおれは、成功したおれは、転生することがあるのだろうか。
おれは、森の中で一人になったときなどに、考えてぞっとしたことがある。もしも本当にこの世界が、転生すると何体ものおれに分岐するルールになっているのだとしたら。そして、その転生したおれは、前の世界での能力を受け継いで、よく似た能力を持つのだったら。ダーウィンの進化論のように。いや、あれは「適した能力を持つ個体が子孫を残し増えてゆく」というルールだったから、その逆で……。
おれは恐ろしい。転生のたびに能力を引き継いで分岐するおれ、というルールで考えると、きっとそうなる。
どんどんつまらない能力のおればかりが増えて、この世界はやがて、おれで埋め尽くされるのではないか。もっともつまらない、なんの役にもたたない能力をもった、どうしようもないおれで、この街も、世界も、いっぱいになるのではないか。