農業をやること

 子供の頃、ドラゴンクエストで遊んでいて、ふと「この住民たちは何を食べているのだろう」と気になったことはないか。人間が生きてゆくには食料を得なければならない。大量に、かつ安定的に食料を得るには農業や畜産の必要がある。そのためにはどうしても一定のスペースが必要になるが、それはこの世界のどこにあるのか。ゲームで描かれる町には田畑はどうも(ほとんど)存在しない。町と町の間の広大なフィールドが耕作されているのかもしれないが、そこには当然ながらモンスターがいて、イノシシやアライグマの比ではない被害が生じていそうである。どうやって人々は日々の食を得ているのか。

 まあ魔法でボヨンと出せるのかもしれないが、それはまあおくとして、どうであるか考えてみよう。魔王的な人が登場してからまだ日が浅く、町と町の間に本来あった農場を追われた人々を、兵士が守る町にどうにか収容したあとは、もうどうしようもなく農地は荒れるに任せている状況、というのが一つの考え方である。もしそうであれば、勇者が魔王を倒すのはのんびりした冒険の旅などではなく、町に避難した人々の蓄えが尽きて人間が滅ぶ前にどうしてもやらないといけない緊急対策事業ということになる。早く魔王を倒してモンスターを追い払って、それだけではなくて急いで人々を農地に戻し、固くなった土を再び耕し、農業を立て直さなければならない。それが間に合わなければ結局人間は滅ぶ。

 しかしそうでもなさそうである。そうではないか諸君。ゲームを遊んだ限りの感覚だが、人々は魔王討伐を勇者に任せ、基本的にはノホホンと、今日と変わらぬ明日が来るようなテイでのんびり生きている感じがする。いやあ、魔物が出てこまったなあ、魔王がこの世界を滅ぼしちゃうかもしれないなあ、とは口では言い交わしているが、とても「たくわえがどんどん厳しくなってゆく」「数ヶ月以内になんとかしないと弱いものから死んでゆく」といような悲壮感はない。水と安全と食料はタダみたいな感じの、場合によっては今日もカジノで遊んで酒場で飲んで食べて酔っ払っておっとうっかり道で寝ちゃったみたいな、そういうウカツな人がウカツなまま人生を送れる豊かな生活を満喫しているかに見える。

 思うのだが、これは「人々はある程度は自力で周辺の魔物と戦い撃退しつつ、農業生産を維持している」ということではないか。確かに魔王は侵攻してきたらしい。その証拠にモンスターもがんがん出るが、人々も無力ではない。町の近くにある一定の広さの耕地を、兵士が守ったり、農民が自力で魔物と対抗して人類の領域と収穫物を守り抜いている。ゲームでは煩雑だから省略されているが、そういう状況なのではないか。

 とくに冒険序盤の町においては、これは不可能なことには思われない。出てくるモンスターはスライムとかそういったようなもので、レベル1の勇者でもなんとか対抗できるように作られている。レベル1勇者がたとえば宿屋のおじさんと比べてどれだけ強いのかはわからないが、常識的に考えてたとえば我々の世界にいるイノシシだとかヒグマだとかスズメバチのほうがスライムよりはずっと剣呑に思われる。見た目で判断して申し訳ないが、あんなスライムごとき、専門の業者に頼まないとどうにもならないようにはとても思えないのである。

 それにレベルアップということがある。考えてもみよ。里で農業をやっていてもイノシシなんて滅多に出てこないが、ドラクエの世界では外を歩いているとやたらとモンスターに出会うのである。農業をやっているつもりがいつの間にかスライム退治のエキスパートになってしまい、イノシシどころか雑草駆除程度の容易さとメンタリティでスライムを刈り取るようになる、というのは十分に考えられることだ。

 試してみた。いまぱっと手元にあるのはスマホ版のドラクエ3であるが、これでアリアハン周辺をうろうろしてみる。ドラクエ3では外を歩いていると昼になり、夕方がきて夜がくるのだが、ちょっと実験してみたところ、朝から歩き出して、次の朝が来て、そのまた次の朝が来るまで(つまり二日で)、18回エンカウントして経験値合計は(四人パーティ一人当たり)82ポイントだった。我ながら真剣な調査でないのでざっと丸めて、ある一日、朝から晩まで外にいると、5回くらいモンスターが襲ってきて得られる経験値は20、というところか。一人で戦っていたとしたら経験値80得られることになる。

 よかろうこれを毎日続ける。農業をやっていて1日に五回も敵が襲ってくるとはかなりなものだが、なんとかやる。ただ、最初は手強くて仲間の力を借りていたスライムやおおがらすもやがては苦もなく一人で相手できるようになるだろう。冒険が目的ではないのだから、他所にはいかない。ただアリアハンの周りで大地を耕し、土と生きる。スライムを田に鋤き込む。おおがらすは食べたり、そのへんにカカシがわりに吊るしておいたりする。とにかくかれらから、自分の田畑を守る。農兵は自分の土地を守らせると強い。

 するとどうなるか。一日は365日あり、その毎日で一日ごとに80の経験値を得て、たとえば10年がんばった。15歳から農業を始めた君ももう25歳。そろそろ結婚相手を探そうとしている頃である。このときの獲得経験値は30万だ。いや本当だ。80×365×10である。なるほどこれは「いつからタバコをお吸いですか」「あそこにベンツが止まっていますね」という話であり継続は力である。経験値30万といえば、勇者ならレベル34。ストーリーを進めていればだいたいバラモスを倒した頃だ。地上であればほぼどこへでも安全に旅できるようになっているレベルである。スライムたちとの10年は、人間をそんなふうに変える。

 どうだろう。この文章を読んで「アリアハンはそれでいいが他の、モンスターがもっと強い町ではどうしているのか」とみんな思っただろうが、そのひとつの答えがこれである、と言えるかもしれない。アリアハン周辺で10年も修行した者が一人、助けてくれればそれでいいのだ、その仲間に助けてもらえれば地上ならどんな町でもワンダリングモンスターなら勝てる。勝てればレベルが上がり、強くなる。レベルが上がればそのうち自分もその辺りのモンスターに勝てるようになることだろう。そうだ。このようにすればだれでもどの町でも農業はできる。だからそうしたらいいし、そうされているのだろう。であるからして、カジノは繁盛し、酔い潰れることだってできるのだ。

 ところで、このままアリアハンで農業を続け40年間、55歳になると獲得経験値から考えてだいたいゾーマを倒せるレベルになるが、そんなことは農家のすることではないのであり、もちろんそんなことはしない。田畑を耕す。モンスターを倒す。食べ物を作る。子供を産み育て、次の世代を鍛える。魔王を倒す?それは勇者の仕事じゃないですか。私は自分の土地を守ります。それしかできませんから。そう言ってしずかに笑う農家たちの笑顔に支えられつつ、魔王の侵攻を受けながらも持続可能な世界。それがドラゴンクエストの世界である。


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