地中海に九州を

 まず、紙の上に正三角形を描き、中を塗りつぶす。次に、辺の長さがちょうど半分の逆向きの三角形をもってきて、この形に三角形の中央を抜く。そうすると、正三角形が三つ、三角形にならんだ図形ができる。日本では「ミツウロコ」と呼ばれている形だ。こうしてできた、この三つの三角形を、同様に、さらに半分の大きさの逆三角形で抜く。全部で九つの小さな三角形の、雁行隊形ができることになる。

 と、どこまで文章で表現できるか試してみたのだが、ついてきていただけているだろうか。なに、無理しないで図で描けばよいのだ。要するに、これである。

 よく見るとなんだか誤差があるが、それは私の作図法がダサいからであり、ここは一番、あなたの忠実なるパートナーである「心の目」にご来駕の栄を賜りますよう何卒ご協力をお願いする次第です。えー、それはともかく、以上からすぐわかることは、この「半分の大きさの三角形を抜く」という作業は、さらにこの先も続けられるということだ。あと一段階進めるとこうなる。

 もっと誤差が出てきた。昔はこういう人ではなかったのに、と自分に見切りをつけつつも、これを次々とどこまでも、本稿では時間もないし誤差もあるのでやめてしまうが、この先もどんどん続けていくと、なんと言うべきか、アミアミになった三角形が得られる。これは「フラクタル」と呼ばれる図形の一種である。

 フラクタルという言葉は、辞書的な意味では「自己相似形」、つまり、拡大すると自分自身にぴったり重ねることができるということだ。上の二つの図形でも、上図を半分に縮小して、三つ並べると下の図形になる。そういうことだと思われたい。この図形、というのは上の私が描いたパチモンではなく、このあとも無限に打ち抜く作業を行った(と心の目でもって補った)穴あき三角形は「シルピンスキーのガスケット」と呼ばれている。このガスケットの黒い部分の面積が実はゼロになるというのは、高卒程度の数学的知識があれば計算できる、面白い事実だ。

 さて、フラクタルは一般にそういう意味であるわけだが、もうひとつ、海岸線や河川の形はフラクタルである、ということがよく言われる。よく言われるどころか、これはフラクタルに関する本を読むと、必ず取り上げてあるトピックスである。しかし、これは一見、ちょっと妙な話に思えるのだ。日本列島の地図を拡大しても、また日本列島が現れるわけではないからである。

 結局これは、フラクタルという用語がどこかで拡大解釈されているのだろう。ここでは、海岸線の形にスケールに依存した特徴が存在せず、拡大しても「折れ具合」が同じになる(しかもある範囲内で近似的に)、というような、はじめの主張に比べるとかなり弱い意味で使われている。フラクタルについての本を読んでゆくと、「自己相似形」という新しい概念が紹介され、それに慣れる間もなく、勝手に次々と言葉が拡大解釈されていて、これもフラクタルあれもフラクタルと言われてしまうので、なんだか非常に落ち着かない。厳密に相似になるものとそうでないものを分けて「フラクタリーノ」とか「フラクタリット」というふうな別の言葉を作ってもよかったろうにと思うが、とはいっても、フラクタルだけに、拡大解釈は正しいことかもしれない。拡大しても元の形と同じに見えるのがフラクタルだからだ。

 などという小ネタはよいとして、海岸線のフラクタル性は、ディバイダという道具を使って説明されることが多い。詳細は一度書いたことがあるので(※)省くが、要するに、地図を使って海岸線の長さを測るとき、どの縮尺のものを使うかで結果が異なるのである。小さく測れば測るほど、得られた全長がどんどん長くなっていってしまって、普通の曲線(円とか楕円とか)でそうしたときのような安定した結果が得られない。

 さて、このことを知った上で、海岸線にフラクタル性があるというのは、けっこう意外なことで思い知らされる。つまりこれは海岸線の形からだけでは、その地図の縮尺を判断できない、ということを意味しているのだ。

 たとえばここに、あなたの知らない地方を描いた地図が一枚あるとする。道路や都市が書き込まれていない、いわゆる白地図である。地図には、港湾や人工島のような人造物も入っていないとしよう。縮尺が隠してあったとすると、原理的に、我々はこの地図がどのくらいの範囲を描いたものなのか、わからない。こっちの岬からこの湾の最深部までの距離は、百キロかもしれないし、一キロかもしれない。自己相似形であるとは、つまりそういうことだ。以前、本を読んでいて、地中海にぽつんと九州が浮かんでいる図を見たことがあって、つまりこれは、大きさの比較のために地図に九州が書き加えてあったのだが、何か異世界を覗き込んだような心持ちにさせられてしまった。イタリア半島の長靴が本当のところどのくらいの大きさなのか、今までちっともわかっていなかったことに気が付くのは、面白いことだ。

 ところで、上で「日本地図を拡大しても日本地図にはならない」と書いた。私がフラクタルについて読んだ本は、ほとんど海外で出版されたものの翻訳であり、だからあまり指摘されないのかなと思うのだが、日本には「似た地形」というものが、確かに、繰り返し登場する。具体的には、列島の白地図をこう、ざっと見ていって、房総半島と伊豆半島が似ていると、みんな一度は考えると思うのだがどうだろう。さらに、大隅半島も似ているといえば似ている。大きく見れば紀伊半島だって、全体的にこれらと似た感じがするのだ。

 有名なマンデルブロー集合の図も、フラクタルの例としてよく引き合いに出されるが、同様に厳密な意味で自己相似であるわけではない。しかしこの「ちょっとずつ小さくなりながら同じパターンが繰り返す」というのをどこかで見たような気が、はじめて見た時からずっとしていたのだ。もしかして、見慣れた日本列島の地図の、太平洋岸あたりを見た感じと、非常によく似ているという、そういうことだったのではないか。同じフラクタルの仲間同士なので、びっくりすることはないのかもしれないが、なにか造物主のような人がいて、しかもその人がこのへんでちょっと手を抜いたような、そんな感じになるのは確かである。くだらない(フラクダラナイ)とは思うが、そういえばウェゲナーの大陸移動説だってそもそもこういう思いつきなのだ、と大きく出て本稿を締めくくりたい。


マンデルブロー図形の例(Θ記号士Θさんの「フラク太郎」による)

※ #467「不自由連想」。この下のほうです。
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